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【プロ野球】田中広輔が語る"タナ・キク・マル"トリオと、3連覇のなかで「本当にしんどかった」シーズン (4ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Junichi Shiratori

――チームは本拠地で連勝したものの、大谷選手のサヨナラ打を放った第3戦から流れが変わり、そこから4連敗。2勝4敗で日本一には及びませんでした。

「日本一を目指して、日本ハムの"勢いに乗せたら怖い"というチームカラーを警戒してシリーズに臨みましたが......僕らのわずかなミスなどで相手に流れを渡してしまい、短期決戦の難しさを痛感させられました」

――チームはリーグ3連覇を成し遂げるわけですが、そのなかで苦しんだ思い出などがあったら聞かせてください。

「2017年のリーグ戦は、新たな選手の活躍もあり、『向かうところ敵なし』の磐石な戦いができたように思います。ただ、3連覇を成し遂げた2018年は本当にしんどかったです。

リーグを2連覇し、『勝って当たり前』と思われるなかでプレーしなければならない重圧は相当なものがありました。僕個人としても、前年に盗塁王と最高出塁率のタイトルを手にしたこともあって、これまでにないくらいマークが集中するようになった。結果として、前の2シーズンよりも個人成績は低迷してしまいました(打率.262、10本塁打、60打点、32盗塁)」

――相手バッテリーの攻め方にどのような変化がありましたか?

「苦手な球種や、インコースに投げられる場面が格段に増えました。3連覇していた時期は、全体的に死球も多かったイメージがあります。事前にデータなどを調べて打席に立ちましたけど、『あまり意識しすぎてもかえって自分らしいプレーができない』と思ったので、打席に入ったあとは『目の前の対戦相手が投げるボールを見極めよう』と心がけていました」

――3連覇の後、2018年には丸選手がFAで巨人に移籍。その人的補償で長野久義選手が広島に移籍しますが、著書のなかではそのエピソードも書かれていましたね。

「最初にその一報を聞いた時は、『あの長野さんが、本当に広島に来るの?』と驚きました。大学、社会人の頃から『どうしても巨人に入りたい』と、浪人してまでその夢を叶えた方でしたし、前年までレギュラーとして出場を続けていましたから。

ただ、本当に腰が低くて、きめ細やかな気配りができる方でした。その人柄に惹かれた多くの若手選手が長野さんを慕い、チーム一丸となる空気を作り出してくれました。長野さんの振る舞いを見て、多くの刺激を受けましたし、大人らしい対応の大切さを学ばせてもらいました」

(後編>>)

【プロフィール】

■田中広輔(たなか・こうすけ)

1989年7月3日生まれ、神奈川県出身。東海大相模高から東海大、JR東日本を経て、2013年ドラフト3位で広島に入団。15年から遊撃手のレギュラーに定着し、翌年は1番打者に抜擢されてフルイニング出場を果たしてリーグ優勝に貢献した。17年は広島の遊撃手として史上初となる2年連続フルイニング出場を達成。最多盗塁と最高出塁率の2冠に輝いて連覇の原動力となった。2025年に戦力外通告を受けて退団。2026年1月17日に現役引退を発表した。

■田中広輔の初の自著

『赤き戦士からの感謝状 田中広輔』(ザメディアジョン)

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