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早稲田大を不合格となった湯浅京己は周囲の反対を押しきり独立リーグへ わずか1年で阪神入団を果たした (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi

「今でもときどき高校時代のフォーム映像を見返す時があるんですけど、『ガッチャガチャやな』って思いますから」

 プロ4年目、湯浅はセットアッパーに定着。最優秀中継ぎ投手のタイトルを手中に収め、新人特別賞の表彰も受けた。翌2023年にはWBC日本代表に選ばれている。

 日本代表のチームメイトには、戸郷翔征(巨人)がいた。湯浅が甲子園球場のアルプススタンドで応援していた高校3年夏、2回戦で対戦した聖心ウルスラ学園(宮崎)の2年生エースが戸郷だった。

「戸郷とは前年のオールスターで仲良くなって、ご飯を食べにいくような関係になったんです。WBCは貴重な経験になりましたね」

 甲子園のマウンドとアルプススタンド。対照的な場所にいたはずのふたりが、6年後にともに日本代表のユニホームを着て戦う。にわかには信じがたい奇縁だった。

 だが、「好事魔多し」というには、あまりに過酷な試練が待ち受けていた。国指定の難病・胸椎黄色靱帯骨化症の発症。一般的に下半身のしびれや脱力などの症状が発生するとされているが、湯浅の場合はその日、その日によって症状が異なり、頭を悩ませた。

 福島県内の病院で手術した後、岩永は入院中の湯浅の見舞いに訪れている。

「手術直後で体に管がつながれていて、痛々しい姿でした。ふつうの人なら『また野球ができるのか?』とすら思えなかったはずです」

 だが、湯浅は岩永に決して弱音を吐かなかった。

【神様は乗り越えられる試練しか与えない】

 高校時代の腰痛、プロでの難病。「なぜ自分ばかり、こんな目に遭うのか?」と運命を呪ったことはないのか。そう尋ねると、湯浅はこう答えた。

「なくはないですけど、ずっと思っていてもしょうがないですし。それに、聖光でメンタルを鍛えてもらっていたので。たしか、監督さんが言っていたんです。『神様は乗り越えられる試練しか与えない』って。その言葉はずっと頭のなかにありました。最初の何日間かは引きずりましたけど、自然と『乗り越えてやろう』という感じになっていました。逆に言えば、自分にしか歩めない道ですから、自分で自分をつくりあげたいなと思っています」

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