早稲田大を不合格となった湯浅京己は周囲の反対を押しきり独立リーグへ わずか1年で阪神入団を果たした (2ページ目)
【BC富山での運命的な出会い】
湯浅はBCリーグのドラフト会議で富山GRNサンダーバーズ(現・日本海リーグ所属)から1位指名を受けた。湯浅にとっては、富山に入団できたことが最大の幸運だった。恩師である伊藤智仁(現・ヤクルト二軍投手チーフコーチ)に出会えたからだ。
斎藤は感嘆した様子で、こんな実感を漏らした。
「高校でも基本はつくったつもりだけど、富山で伊藤監督から愛情を受けて、鍛えてもらえたことがすべてだったんじゃないかな。腰に爆弾を抱えているから、すぐに潰れちゃう可能性もあったけど、ちゃんと目をかけてもらえてよかった」
入団当初は肉体強化に主眼を置きつつ、徐々に登板機会を与えられるようになった。15試合の登板で3勝7敗、防御率5.72と成績は振るわなかったものの、湯浅は実戦を経験するなかで自信を深めていった。
「富山ではメンバーに恵まれました。(伊藤)トモさんはもちろんですけど、乾さん(真大/現・東洋大コーチ)や古村さん(徹/元・DeNA)、ほかにもいい先輩、チームメイトばかりで。トモさんはつきっきりでトレーニングに付き合ってくださって、乾さんはいつもキャッチボールをやらせてもらいました。高校で半年くらいしか野球をやっていなかったので、富山で土台をつくってもらった感じです」
高卒1年目の原石に目を留めたのが、阪神の筒井和也スカウトだった。2018年のドラフト会議で、湯浅は阪神の支配下登録選手としては球団最下位となる6位で指名されている。
卒業後も湯浅と連絡を取り続けていた岩永は、「鳥肌が立った」と明かす。
「湯浅が高校3年夏の甲子園でベンチから外れた時、僕は『プロに入ってから甲子園で投げればええやん』と伝えたんです。まさか、本当に阪神から呼ばれるなんて......。『そんなことあるの?』と思いました」
【巨人・戸郷翔征との奇縁】
入団後2年間は腰痛のため、登板機会は限られた。だが、3年目になると投球フォームが固まっていく実感があった。
多くの聖光学院関係者が「高校時代と今のフォームはあまり変わらない」と証言したが、湯浅の感覚はまるで違うという。
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