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【WBC 2026】窮地の侍ジャパン救援陣の救世主となるか 「大谷2世」と呼ばれた男がプロ12年目で世界の舞台に (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro

 入団後も、球団の編成担当者が「今からでも野手に専念して遅くない」と語るほど、その打力は高く評価されていた。それでも松本は「そこそこはできるかもしれないけど、そこそこでしかない。やっぱり投手のほうが......」と口にしたのは、大谷の衝撃アーチを体感したからだった。

 また、それはマウンドに立つ者の矜持だったのかもしれない。

【ジョーカーから勝ちパターンへ】

 しかし松本の才能が開花するまで、随分と時間がかかった。若い頃は故障との闘いだった。

 高校時代の終わりに右ヒジを故障した影響がプロに入ってからもしばらく続き、ルーキーイヤーは10月の秋季教育リーグで1イニングを投げたのみだった。

 2年目からはファームで登板を重ねるようになったが、その姿は現在の松本とも、さらには高校時代の全盛期ともまるで別人のようだった。直球の球速は140キロ前後にとどまっていた。

 それでも以前から相手打者の打ち気をかわす投球術に長けており、それを実践できるだけの制球力も備えていた。しかし、ファームで技巧を駆使して抑える姿に対し、先輩投手から「おじさんピッチング」と陰で揶揄されたこともあった。

 ソフトバンクの背番号66の前任者は、「負けないエース」の異名を取り、沢村賞2度の大投手・斉藤和巳だ。その強烈なイメージと比べられることもあったが、松本はいつも淡々と投げていた。

 ただ松本は、決して「本当の姿」をあきらめたわけではなかった。治療院にも通い、さまざまなトレーナーにも頼り、そのなかでヒントを得ていった。

 2020年3月のオープン戦で、当時自己最速となる152キロをマーク。ようやく元に戻った。そこからは積み上げていく作業だった。

 当初は、先発で活路を見出すつもりだった。2021年は33登板中7試合で先発し、最後は中継ぎでシーズンを終えた。2022年も「中継ぎに転向したつもりはない」と、開幕ローテーション争いをした。だが、このシーズンの夏場にひとつの転機が訪れた。

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