江川卓、孤立無援のルーキーイヤー 「相手9人とこっちの8人の17人と戦っていましたから」 (3ページ目)
当時の週刊誌には、江川が登板する日に野手がわざとエラーをしたり、あえて三振したりして、勝ち星をつけないようにしていた──そんな記事まで掲載されていた。実際にそのような行為が本当にあったのか、確証は得られていない。ただし、匿名で「そういう選手もいた」と証言するOBがいたのも事実である。
江川を取材している時、話の流れからこんなことを口にしたことがある。
「最初の頃は、相手9人とこっちの8人の17人と戦っていましたから」
冗談めかして話してはいたが、半分以上は本音だったと思う。
それほどまでに、ルーキーイヤーの江川は打線の援護に恵まれなかった。偶然と言ってしまえばそれまでだが、所詮は人間がやることでもある。
当時、川柳で「王が打ち 江川KO 酒うまし」という句が広まったが、まさにデビュー直後はそんな空気だった。
そんな四面楚歌の状態だった江川だが、2年目には16勝を挙げ、最多勝のタイトルを手にした。それでも、巨人の選手たち全員が江川を全面的に信頼したわけではない。まだ、心のどこかでクエスチョンマークを抱えたままの者も少なくなかった
いくら実力がものをいう世界とはいえ、男の嫉妬や妬みは根深く、そう簡単に晴れるものではなかった。
令和に蘇る怪物・江川卓の真実。
光と影に彩られた軌跡をたどる評伝が刊行!!
『怪物 江川卓伝』 (著・松永多佳倫)
2025年11月26日(水)発売
作新学院高校時代から「怪物」と称され、法政大学での活躍、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て巨人入り。つねに野球界の話題の中心にいて、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。その圧倒的なピッチングは、彼自身だけでなく、共に戦った仲間や対峙したライバルたちの人生までも変えていった。昭和から令和へと受け継がれる"江川神話"の実像に迫る!

内容
はじめに
第一章 高校・大学・アメリカ留学編 1971〜1978年
伝説のはじまり/遠い聖地/怪物覚醒/甲子園デビュー/魂のエース・佃正樹の生涯/不協和音/最強の控え投手/江川からホームランを打った男/雨中の死闘/江川に勝った男/神宮デビュー/理不尽なしごき/黄金時代到来/有終の美/空白の一日
第二章 プロ野球編 1979〜1987年
証言者:新浦壽夫/髙代延博/掛布雅之/遠藤一彦/豊田誠佑/広岡達朗/中尾孝義/小早川毅彦/中畑清/西本聖/江夏豊
おわりに
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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