新庄剛志監督が導く日本ハムの強さの理由を飯田哲也が解説 「受け継がれる野村イズム」と「似て非なるチームづくり」 (4ページ目)
── 三木監督は指導者としての評価が高いです。
飯田 引退後は、日本ハム・栗山英樹監督のもとで内野守備コーチを務め、2012年のリーグ優勝に貢献しました。そもそも栗山監督も、かつては野村監督時代のヤクルトでプレーしていた選手です。また、2015年には真中満監督率いるヤクルトで、作戦兼内野守備走塁コーチとしてチームを支えました。真中監督も現役時代に、1993年、1995年、1997年の日本一を経験した"野村ヤクルト"の中心選手のひとりでした。いろいろな監督のもとでチームを支えたことが、今につながっているのでしょうね。
── 三木監督は2020年にも楽天の指揮をとっています。
飯田 チーム打率はリーグトップでしたが、チーム盗塁数はリーグ最少。順位は4位で、残念ながら1年で退任となりました。
── 1989年にはリーグ5位だったヤクルトのチーム盗塁数ですが、1990年に野村監督が就任し、飯田さんが抜擢されて29盗塁を記録。チーム全体の盗塁数もリーグ1位へと躍進しました。
飯田 今の楽天も似たような状況です。外国人の長距離砲があまり機能していないなかで、どうやって点を取るかといえば、足を絡めるしかない。走者を二塁、つまり得点圏に進めて、得点の確率を上げる。チームの状況に応じた戦い方をするという点では、まさに野村監督の提唱していた「弱者の兵法」に通じるものがあります。
── ほかにも阪神の藤川球児監督、ヤクルトの高津臣吾監督、ロッテの吉井理人監督など、球界には"野村チルドレン"と呼ばれる監督が多くいますね。
飯田 もちろん、投手出身の監督も野村さんから大きな影響を受けていると思います。ただデータを重視する "ID野球"は、即効性という点では攻撃面にこそ表れやすいんです。そういう意味で、野村さんの野球は投手出身よりも野手出身の監督のほうが影響を受けている可能性は高いですね。
飯田哲也(いいだ・てつや)/1968年5月18日、東京都生まれ。拓大紅陵高3年時に春夏連続して甲子園に出場し、86年ドラフト4位でヤクルトに入団。捕手として入団するも、野村克也監督に俊足、強肩を買われ外野手に転向。91年から97年まで7年連続ゴールデングラブ賞を獲得し、ヤクルト黄金時代の名手としてチームを支えた。05年に楽天に移籍し、翌年現役を引退。引退後はヤクルト、ソフトバンクでコーチを務め、20年より解説者として活躍
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