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関根潤三から何も言われなかった尾花高夫は「年間200イニングを投げること」を目標にエースの座を死守した (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi

── 生前の関根さんは「本心を言えば優勝を狙っていなかった」と話していました。だからこそ、「勝たせる監督ではなく、育てる監督を目指した」とも言っていました。こうした監督の思いは選手たちにも、自然に伝わっていったのでしょうか?

尾花 どうでしょうね。それは僕にはよくわからないけど、若い選手たちにとってはそれでいいのかもしれないけど......。

── 尾花さんのような中堅からベテランにさしかかる選手、すでに実績のある選手にとっては「勝たせる監督」が必要だったのかもしれないですね。

尾花 それが関根さんのあとを継いだ野村監督だったんだと思います。僕はもともと『週刊朝日』に掲載されていた野村さんの連載を含めて、野村さんの本はすべて読んでいたので、「なるほどな」と思うことがたくさんありました。考え方が変わらなければ行動が変わらない。考えれば考えるほど引き出しも増える。引き出しが多ければ多いほど、いろいろな対応ができる。情報を与え、考えることを学び、引き出しを増やす。そうすれば選手は成長するし、チームは強くなっていく。僕はそう思いますね。

── あらためて、3年の在任期間において関根監督がスワローズに遺したものは何だったと思いますか?

尾花 関根さんがチームに遺されたものは「のびのびやる」ということじゃないかな。その「のびのび」で育った選手がたくさんいましたから。そして、監督としては「勝利」よりも「選手」を優先したと思います。関根さん自身が「次世代に向けて育成するんだ」という思いで指揮を執っていて、その目的は達成されたと思います。

── ちなみに、広岡監督はスワローズに何を遺したと思いますか?

尾花 広岡さんは「勝つためには何をすればいいのか?」を遺した監督だと思います。でも、それは結局、数年しか続かなかった。僕の現役最後は野村監督で、僕が引退した後にヤクルトは何度も優勝を経験するけど、野村さんも広岡さんと同様に「勝つために何をすべきか?」を考えていた監督でした。その点が関根さんとの大きな違いだったような気がしますね。それでも、関根さんの下だからこそ成長することのできた選手もたくさんいました。

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