「長嶋茂雄は永久に憧れの人です」愛弟子・ 篠塚和典が受け継ぐミスターの意志と「僕らにできること」 (2ページ目)
――それ以外にはありますか?
篠塚 選手時代、一軍に上げてもらって最初のオープン戦で言われたこともよく覚えています。前もって先発で起用することを伝えられていて、「(後楽園)球場に家族を呼びなさい」とミスターに言われたんです。それで試合に家族を招待したのですが、僕が1打席目にミスターが嫌う見逃しの三振をしてしまい、交代させられてしまったんです。家族が見に来ているのだから普通は1打席で代えないと思うのですが、すでにその時には、僕が両親を呼んでいるということはミスターの頭の中から消えていたのかもしれません(笑)。
それで試合中にもかかわらず、ミスターに、「穴ぐら(バッティングマシーンが設置されていた後楽園のライト下の通称)に入って、試合が終わるまで打っとけ」と怒られました。言われた通りに試合が終わるまでティーバッティングをしながら自分なりに考えて、それからはバッティングに対する考え方が変わりましたね。際どいコースは絶対に見逃さないようにしましたし、少々ストライクゾーンから外れたボール球でも打っていこうとなりました。それが自分のバッティングの原点になりましたし、今思えば、逆にいいミス(見逃し三振)だったのかもしれません。
【長嶋茂雄が多くのファンに愛された理由】
――長嶋さんの出身地・千葉県佐倉市で開催されている「長嶋茂雄少年野球教室」に篠塚さんは参加されているとのことですが、今後も継続されるのでしょうか?
篠塚 自分たちがミスターの意志を受け継いでいくことはもちろん、何よりも長嶋茂雄という偉大なる野球選手がいたということを、これから伝えていかなければいけないと思っています。40代以上であればミスターのことを知っている方が多いと思いますが、それより下の世代になると、知らない方が増えてくると思います。
なので、野球教室に来る子供たちやその親御さんにも、ミスターのことをできる限り伝えていきたい。長嶋茂雄という名前を永遠に残していきたいですし、世代を越えて多くの人たちに語り継いでもらえるように努力していきたいですね。特に、若い世代の方々の会話のなかに、長嶋さんの名前が出てくるようになればいいなと思っています。僕らにできることは、それくらいだと思うので。
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