篠塚和典が振り返る吉村禎章の印象的な2本のホームラン 最速リーグ優勝を決めた劇的弾と、審判の勘違いが生んだ一発 (2ページ目)
――練習と試合では、力の入り方が全然違うものなのでしょうね。
篠塚 まして、本当に久しぶりの打席だったわけですし。藤田元司監督をはじめ、首脳陣は「よく戻ってきてくれた」と思う一方で、「走った時にまたやってしまうんじゃないか」という不安もあったでしょう。多くの人たちがいろいろな思いで見守っていた打席だったと思います。
【最速リーグ優勝を決めた劇的な一発】
――篠塚さんから見た吉村さんは、プロ入り当初から「自分の考えをしっかり持っている選手だった」とのことですが、ケガをする前後で何か変化はありましたか?
篠塚 あれだけ大きなケガをして、それを乗り越えたあとはケガをする前ほどの成績を残せませんでしたが、それでもある程度の活躍は見せてくれました。いろいろな経験をしたでしょうから、コーチとして選手を指導する際に生きたんじゃないですかね。選手がケガをしてしまった時やケガから復帰した時に、ヨシがかける言葉には重みがあると思いますし、選手の心にも響いていたと思いますよ。
――1990年シーズンは、巨人がセ・リーグの首位を独走してリーグ優勝を決めました。そのリーグ優勝を決めたヤクルト戦でサヨナラホームランを打ったのが吉村さんでしたね。奇跡のカムバックを果たしてから約1年後の、劇的なシーンでした。
篠塚 何かやってくれそうな雰囲気は感じていましたし、ベンチにいるみんなもそう思っていたんじゃないですか。
この年は、リーグ優勝を決めたのがすごく早かったんです(9月8日にNPB史上最速のリーグ優勝を達成)。2位との差がかなり開いていて優勝も近づいていましたし、選手たちにはプレッシャーがそれほどかかっていなかった。ヨシもそうだったでしょう。なので、ああいった劇的な優勝の決め方を思い描いていた選手もいただろうし、ヨシもそういう気持ちで打席に入っていたのかもしれません。
――吉村さんらしい強い打球でした。
篠塚 川崎憲次郎から打ったと記憶していますが、ライナーでライトスタンドの最前列に入りましたよね。ホームランを打ったヨシをみんなで迎えたあと、ホームベースの近くで、藤田監督をはじめコーチの方々を胴上げできたのがうれしかったです。ただ、僕が一番印象に残っているのは、広島戦(1987年10月18日、後楽園球場)でのホームランなんです。
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