篠塚和典が振り返る吉村禎章の印象的な2本のホームラン 最速リーグ優勝を決めた劇的弾と、審判の勘違いが生んだ一発 (3ページ目)
【審判の勘違いから生まれた後楽園球場での最後のホームラン】
――審判の勘違いがあった打席ですね。
篠塚 そうですね。"4ボール"2ストライクからレフトに打ったホームランです。本当はフォアボールだったのですが、優勝が決まったあとの消化試合ということもあってか、球審がカウントを勘違いしてしまって。僕らはベンチで見ていて「あれ、フォアボールじゃないの?」と言ったりしていたのですが......。ただ、結果的にはホームラン、それもそのシーズンのヨシの30本目のホームランにもなったので、余計なことは言いませんでした(笑)。
――スコアボードのボールを表示する青いランプが、不調でなかなか点灯しなかったんですよね。「2ボール2ストライク」になった時のスコアボードの表示が「1ボール2ストライク」になっていて、球審がキャッチャーの達川光男さんや吉村さんに確認したら、達川さんは2ボールだとわかっていながら「1ボールだ」とアピールしたと。
篠塚 球審の勘違いから始まったわけですが、(翌年から東京ドームが本拠地になったため)後楽園球場での最後の試合でもありましたし、いろいろな意味で印象に残っています(笑)。
――それと、吉村さんはライナー性の打球が多かった印象です。
篠塚 打球が強かったですね。バッティングでは利き手のほうが力が強くなりますが、ヨシは左投げ(左打ち)で利き手が左手なので、バットを振る時に強く押し込めるんです。「左で打つ」っていう感覚ですね。原(辰徳)は右投げ右打ちだから「右で打つ」っていう感覚でしたし。
――「あのケガさえなければ」と言われる選手は多いですが、吉村さんはその最たる選手だと思います。仮の話にはなりますが、どれくらいの成績を残せたと思いますか?
篠塚 その予想は難しいですね。ただ、ホームランが打てる上に打率も残せて、勝負強くて打点も稼げて、出塁率もよかった。何かしらの打撃タイトルは狙えたし、獲れる力はあったと思います。どれかひとつのタイトルに照準を定めて専念すれば確率も上がったでしょうし、ひょっとしたら三冠王を狙えていたかもしれません。
(後編:引退後の吉村禎章は「ひと回りもふた回りも大きくなった」 巨人のリーグ優勝に貢献した手腕も称賛>>)
【プロフィール】
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
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