野村克也のヤクルト、落合博満の中日はなぜ黄金時代を築けたのか? 川崎憲次郎が語る「2人の名将の共通点」 (2ページ目)
【嫌われ役に徹した落合監督】
── 野村監督がプロデューサーなら、落合監督は何になりますか。
川崎 落合監督は監督就任1年目の2004年の2月1日、キャンプ初日に紅白戦を敢行しました。「補強をせず、現有戦力を10パーセント底上げする」と、自らノックをして内野手を鍛えた話は有名です。野手の夕食時間は夜8時と、とにかく質、量ともにすさまじいキャンプでした。
── その分、成果は大きかったですね。
川崎 そのシーズン、中日は川上憲伸、渡辺博幸、荒木雅博、井端弘和、英智、アレックス・オチョアと、6人のゴールデングラブ受賞者を輩出するなど、鉄壁の守備力で優勝を遂げました。まさに有言実行だったわけですが、そのオフ、20人近くの選手が戦力外になりました。私もそのひとりでした。強い組織をつくるために完全に割り切って、自分が"嫌われ者"に徹していたという印象です。
── そういう意味では、現場で実務を施す"ディレクター"ですね。一方、細かい指導はコーチに任せ、泰然自若に構えて采配をふるっていたようにも見えました。
川崎 もちろん、気になる選手には打撃指導をしていたという話は聞いたことがあります。ただ基本的にはコーチを信じ、任せていたようです。私が投げさせていただいた2004年の開幕試合は特例で落合監督が決めましたが、あとは森繁和コーチに託していました。
── 落合監督は「自分で責任を取る監督」だと聞いたことがあります。
川崎 そうですね。もしも何か理由があったとしても、絶対に人のせいにはしないで、自分の責任にする人です。2005年に岡田彰布監督の阪神と優勝争いをしている時、「今日は監督の差で負けた」と発言するなど、指揮官としての責任感の強さが表れていました。
【野球で勝つには守備が大事】
── ヤクルト時代の野村監督と中日の落合監督の共通する点は、司令塔と呼ばれる捕手に古田敦也さん、谷繁元信さんという名選手が存在しました。
川崎 私は2人ともバッテリーを組ませてもらいました。ノムさんは、古田さんをプロ入り1年目から手塩にかけて育ててきました。「捕手は代理監督や」と、投手が打たれると「リードが悪い」と古田さんは叱られていましたね。投げているほうとしては、ほんとに申し訳ない気持ちでした。
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