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岩瀬仁紀が明かす日本シリーズでの継投・完全試合の舞台裏 「こっちに拒否権があればよかったんですけど...」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 9回を3人で締め、日本一になって批判される──。抑えとして、プロとしてあり得ない経験を強いられた岩瀬だが、翌年以降も結果を残し続け、10年からのリーグ連覇に貢献する。42セーブを挙げた10年は4度目の最多セーブ賞を獲得し、被本塁打1、与四球率2.44。37セーブを挙げた11年も被本塁打1で、与四球率1.85だった。

「フォアボールとホームランは絶対に防げるものだと思っています。結果、ヒットを打たれるとしても、打つってことはバッターがミスする可能性もあるわけです。そのミスの可能性を潰して、自らフォアボールを与えてしまうのは無駄だと。だから、少々甘くてもホームランにならないボールで勝負にいかなきゃいけない。フォアボールを出すと雰囲気が悪くなるのでね。

 でも、抑えが先頭にフォアボールを出すことはよくある。やっぱり打たれたくないし、ランナーを出したくないという思いが強いほど、出してしまうんです。そういう時のピッチャーは守りに入っていて、厳しいところに投げようとか、様子を見ようとかすると、フォアボールを出しやすい一番の要素になる。だから、気持ちのなかで攻めていれば、フォアボールにはならないです」

 抑えになった当初、敬遠という作戦に慣れるまで時間がかかったというほどに、岩瀬のなかで四球は無駄なものだった。では、ホームランを「絶対に防ぐ」にはどう投げればいいのか。

「バッターがよっぽど完璧にとらえないと、ホームランにならないです。自分の投げる球種のなかで、このボールをここに投げたらホームランになる、というのはだいたいわかります。じゃあ、そこに投げなきゃいいというだけの話です。これは年数が経っていくなかで覚えたことですけどね。年数が経って、衰えてくると、ピッチングがすっごく難しくなってくる」

【抑えて当たり前なんてあり得ない】

 高木守道が監督に復帰した12年。岩瀬は自身5度目の最多セーブ投手賞を獲得したが、同年は8度の救援失敗があり、左ヒジの違和感で二軍調整もあった。この時38歳。以前は空振りしていた球がファウルになったり、ファウルだった球がヒットになったり。それでも結果を残し続けるため、少しずつ投球を変えていくことに難しさがあった。

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