岩瀬仁紀が明かす日本シリーズでの継投・完全試合の舞台裏 「こっちに拒否権があればよかったんですけど...」 (2ページ目)
「5回から山井がそうなっていて、8回まで投げられるんだったら9回も行けるだろうとも思っていました。でも、ブルペンに電話がきて、行くしかなくなって。こっちに拒否権があればよかったんですけど......(笑)。相当な覚悟を決めるしかなかったですね」
当時監督の落合博満、投手コーチの森繁和が、後年、各々の著書で継投の内情を明かした。8回終了時点、マメさえ大丈夫なら完全試合のチャンスがある、と見ていた森が「どうするんだ?」と山井に聞くと、「岩瀬さんでお願いします」との返答。7回にマメの件で報告を受けていた落合は、「山井がもう投げられないと言っています」と森から聞いて、「岩瀬で行こう」と告げた。
「簡単に言えば、山井とダルビッシュで勝てないと思っていたところが勝てる試合になって、監督としては『絶対に勝たなきゃいけない』っていうふうになったと思います。それで9回、山井を行かせて、ランナーを出してから僕が行くほうが難しいんじゃないか、という判断があったので。
だから、代えるなら9回の頭からだし、山井を行かせるならとことん行かせなきゃいけないだろうな、っていう判断のなかでの答えですよね。で、山井が『ここまで岩瀬さんでずーっと来たんで、岩瀬さんに代えてください』って言った言葉が、すべてなんじゃないかな、と」
【四球とホームランは絶対に防げる】
ホームで日本一が決まる9回。スタンドから歓声は起きず、ざわつくなかで岩瀬はマウンドに上がった。まず、先頭打者の金子誠は外角のスライダーで三振。続く代打の高橋信二をレフトフライに打ち取り、最後は小谷野栄一をセカンドゴロ。過去にない重圧を感じながらも岩瀬は3人で抑えて1対0。史上初の継投・完全試合が達成され、中日が日本一の栄冠に輝いた。
「ひとりでもランナーを出したら、何を言われるんだろうと思ってましたよ。そういう雰囲気になってしまっていたので。で、3人で抑えても、次の日のワイドショーで何かすごい批判をされて。『代わった岩瀬が悪い』みたいな感じになっちゃって。こっちは別に、自分で行きたくて行ったわけじゃないし、っていう感情で見ていた気がします(苦笑)」
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