BCリーグから阪神へ 強肩強打の捕手・町田隼乙を飛躍させた「名将の熱血指導」と「プロの二軍キャンプ」 (4ページ目)

  • 井上尚子●文・撮影 text & photo by Inoue Hisako

【BC選抜で最後のアピール。指名の瞬間は唖然】

 7月30日の茨城戦。町田はホームに走ってくるランナーにタッチにいった際に左手を痛めた。いったん手当てをして試合に戻ったものの、9回に交代。その後、しばらくミットをはめられない状態が続いた。

「BC選抜戦まで約1カ月という時期だったので、あの時は焦りました。バッティングではある程度アピールができていたけど、捕手としてどう評価してもらえるか、が重要ですから」

 BC埼玉に入団してから、初めて負ったケガだった。次に試合に出られたのは8月11日のこと。代打でヒットを放ったが、その後はシーズンが終わるまで、すべてDHで出場した。

 スカウトや編成が集まり、ドラフトの最終判断の材料となるのが、9月のBC選抜対NPBファーム戦だ。ここで捕手としてのプレーをしっかり見せなければならない。しかし町田は十分な練習が出来ず、実戦感覚が戻らない状態で試合に臨むことになった。

 そうして迎えた9月20日、ベルーナドームでの西武戦。町田はフェンス直撃の大きな当たりも出るなど、二塁打を2本放った。心配された捕手の守備では盗塁を刺して見せるなど、その日出場した選手のなかで一番と言っていいアピールをした。

 今年のドラフトは「捕手の候補が少ない」と言われていたが、高卒3年目という若さもあって町田の評価は上昇。調査書の数も増え、追い風が吹くなかでドラフト会議当日を迎えた。

 町田はUDトラックス上尾スタジアムの本部室でその時を待った。スタンドにはファンが集まり、球場のビジョンで会議の様子を見守るなか、「第4巡選択希望選手。阪神タイガース......町田隼乙」という声が響いた。

 4巡目は、予想外の早さだった。驚きで呆然とする町田の耳に、スタンドからの歓声が届いた。

「呼ばれた瞬間にみなさんの声が聞こえて、すごく嬉しかったです」

 指名後にはスタンドに行き、平日の夜にも関わらず集まってくれたファンに向けて挨拶した。「おめでとう」の声に包まれ、写真やサインを求める人々に丁寧に対応し続けた。

 高校時代はコロナ禍の影響で無観客か、手拍子での応援。BC埼玉に入って2年目から声出しが解禁になり、トランペットや賑やかな応援歌が響く熱い応援に感動した。「応援が力になる」ということを実感しながら成長し、とうとうNPB入りを掴んだ。

 独立リーグでの日々を振り返り、町田は「もう一度やり直すとしても絶対、独立リーグを選ぶ」と断言する。そうでなければ、1年目からあんなに濃い経験を積めることはなかっただろうと。

 独立リーグの規模からすれば、甲子園に集う約4万人の観衆など、今は想像もできないかもしれない。だが、近い将来、必ずそこに立つ。

 大観衆に応援される選手になる――。町田は新たな夢を胸に刻んだ。

【プロフィール】

◆町田隼乙(まちだ・はやと)

2003年4月3日生まれ、神奈川県出身。捕手。小学3年時に「秦野ドリームス」で野球を始める。大根中時代は「平塚ボーイズ」に所属。光明学園相模原高では甲子園出場なし。2022年からルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズに所属。強肩強打の捕手として活躍し、2024年のドラフト会議で阪神から4位指名を受けた。186cm・88kg。右投げ右打ち。

【写真】 阪神タイガース「TigersGirls」2024年全メンバー(17人)甲子園球場で撮り下ろし!

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