敗戦処理からスタートした「ヒゲ魔神」五十嵐英樹のリリーフ人生 心に響いた権藤博からの助言 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「今ではあり得ないですが、その年は先発でも投げていたので......。痛めた時は、朝にヒジが熱くて目覚めたんです。球場に行って、握力計ったら10もなくて。ビール瓶、ジョッキも持てず(笑)。登録抹消されて病院に行ったら『手術の適応じゃない』と言われて、何とか治したんです。でも結局、翌年のキャンプでランニング中、ヒジが動かなくなって......。手術したのは開幕前ですよ」

 クリーニング手術ではあったが、長期離脱を余儀なくされた。一方、同年から権藤博がバッテリーチーフコーチに就任。中日、近鉄、ダイエー(現・ソフトバンク)で指導実績があり、その手腕に期待がかかっていた。五十嵐自身、数多く学ぶことになる指導者だが、思いのほか術後の経過がよく、早期回復して一軍に昇格した6月、権藤にこう言われた。

「(一軍へ)呼んだけど、最初は敗戦処理からだ」

 故障上がりの投手には厳しい言葉だった。つかんだと思ったポジションには盛田のほか、島田直也がはまっていた。それでも腐らず、若手と一緒に練習メニューをこなして登板を重ねると、徐々に大事な場面を任されていく。結果を出すごとに権藤の五十嵐への評価は確実に上がっていた。

【リリーフで参考になった先発投手の配球】

「権藤さんで勉強になったのは、ストライクを放れてナンボ、ということです。勝負してフォアボールはOKだけど、基本的にストライクを投げられないピッチャーは一軍にはいない。『一軍に上げて使っているのは首脳陣であって、それだけ評価してるんだから、しっかり自分のゾーンで攻めろ』ということはずっと言われました。

 当然、攻めるというのは、ただがむしゃらに一生懸命に投げるだけじゃない。そのなかにテクニックがあって、それはバッターとの駆け引きだと。『バッターも人間だから考えてくる。そこの駆け引きをどうやっていけるか考えろ』ってよく言われましたし、『考えるには中継ぎを見るんじゃなくて、先発ピッチャーを見てみろ』っていうことも言われましたね」

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