栗山英樹が痛感した変わりゆく野球界 「もうデータではなく、サイエンスの時代になっている」 (2ページ目)
私は現役時代、ジャパンに選ばれたこともありませんし、日の丸をつけてプレーした経験自体がない。そんな人間に務まるポジションではないのではないか、「本当に私でいいんですか」と。
でもその一方で、「このままで終わっていいのか」「苦しい経験を若い人に返さないと」という思いが自分にあり、日本代表監督のオファーをお受けすることにしました。
やはり正直にいうと、私のなかには悔しさが充満していた。自分でファイターズの監督をやめると決めたものの、「何にもできなかった」「誰のためにもなれなかった」「やらなきゃいけないことができなかった」という悔しさがあったのです。
私は積極的に動きたいタイプの人間なのですが、各球団の選手や監督に会いたくてもコロナ禍では思うようにいきませんでした。できれば、一緒に戦いたい選手ひとりひとりに会って、WBCへの思いやコンディションについて話をしたかった。でも、2022年11月の強化試合までは表立って動くことができませんでした。
そんななかで、深く物事を考える習慣が身についたように思います。そういう意味では大きな1年間でした。
【メンバーの活躍を一番楽しめているのは自分】
──2023年3月に開催されたWBCで世界一になった選手たちはそれぞれ、自分の戦いの場に戻っていった。ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)は2024年5月に日米通算200勝を達成。アメリカとの決勝戦で先発登板を果たした今永昇太は2023年シーズン後にシカゴ・カブスと5年契約を結び、2024年に15勝を挙げた。
大谷はロサンゼルス・エンゼルスの最終年となった2023年に、投手として10勝、打者として日本人初の本塁打王を獲得。9月に二度目となる右ヒジの手術を行なったが、2024年はロサンゼルス・ドジャースで史上初の「50−50」(50本塁打・50盗塁)を記録。さらに自身初のポストシーズンに出場し、悲願のワールドシリーズ制覇も成し遂げた。
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