【ドラフト秘話】メジャー挑戦の大谷翔平を強行指名→日本ハム入団も栗山英樹は「全然喜べない」

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

──北海道日本ハムファイターズのリーグ優勝が決まったのが2012年10月2日。クライマックスシリーズファイナルでホークスを下したのが19日。ジャイアンツとの日本シリーズ開幕(10月27日)の2日前にドラフト会議が行なわれた。この年の目玉と考えられていたのは菅野智之(東海大学卒)、東浜巨(亜細亜大学)、春夏連覇を果たした大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎など。そのなかでファイターズが指名したのが、160キロのストレートを投げる大谷翔平(花巻東)だった。当時を栗山英樹が回想する。

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2012年ドラフトでメジャー挑戦を表明していた大谷翔平だったが、日本ハムが強行指名した photo by Sankei Visual2012年ドラフトでメジャー挑戦を表明していた大谷翔平だったが、日本ハムが強行指名した photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

「新刊書籍『栗山英樹の思考 若者たちを世界一に導いた名監督の言葉』(ぴあ刊)より本文を抜粋してお届けします。

【強行指名は非礼だと感じていた】

 ドラフト会議前にメジャーリーグに挑戦することを表明した翔平を、ファイターズは強行指名しました。

 翔平はメジャー以外考えていない、と宣言していましたが、私はファイターズに来てくれると思っていました。日本のプロ野球には行かない、と表明した高校生を無理やりに指名したことで、高校の関係者にはものすごく迷惑をかけました。若者の信念のある行動に対しての強行指名ですから、非礼だとも感じていました。

 しかし、18歳でメジャーリーグに行くよりも日本のプロ野球で基礎を固めてからメジャー契約でアメリカに行くほうがいいと我々は思っていたので、その思い、考えをぶつけさせてもらいました。ファイターズのためではなく、翔平のためだと考えました。だから、こちらも信念を持ってお願いにいくだけでした。大谷翔平なら理解してくれると思っていました。

 私が話をするとき、翔平はいつも何も言わずに聞いていました。リアクションはまったくなし。大事な話をする時はいつもそうなんです。表情を少しも変えることなく耳を傾けてくれて、説明をし終えた時に「ありがとうございました」とだけ言いました。

 こちらの話を聞きながら、一生懸命に考えてくれているように見えました。その時はどんな決断を下すのかはわかりませんでしたが、彼を信じて待つだけでした。

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著者プロフィール

  • 元永知宏

    元永知宏 (もとなが・ともひろ)

    1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長

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