江川卓と高校時代に対戦した篠塚和典はショックを受けた「この球を打たないとプロには行けない」 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

【江川卓の入団時に一軍定着】

 高校2年の秋から肋膜炎で半年間休んでいたにも関わらず、長嶋茂雄が首脳陣の反対を押し切ってドラフト1位で指名したのも頷ける。

 巨人入団時はまだまだ体の線は細かったが、3年間みっちりファームで鍛えられ、1979年から一軍に定着した。その79年は江川が巨人に入団した年でもある。

「法政大時代の江川さんをテレビで見ましたけど、プロに来るんだったらあまり投げないほうがいいなと思っていました。あれだけの速い球を投げるピッチャーですから、やっぱり肩への負担は大きいはずなんです。絶対にプロに来ると思っていましたから、肩を壊さなきゃいいなと思っていました。

 それで79年に江川さんが入ってくるんだけど、性格的にもワーワーするほうじゃないから......。マウンドでも表情を変えずに投げるピッチャーだったし、普段からそういう感じでしたね。入団の経緯にしても、別に江川さんが悪いわけじゃなく、そのへんはマスコミがいろいろ書きすぎたところもあっただろうし、プロの世界はしょうがないじゃないですか。トレードもあることだし。でも、あの時のドラフトから入団の様子を見ていて、我々も戸惑ったというか、『こういう形もあるんだ』って。そっちのほうが気になっていましたね」

 篠塚はファームにいながらも、法政大時代の江川のことを知っていた。篠塚にとって、生まれて初めて手も足も出なかった真っすぐを投げる江川のことを気にならないわけがない。万全の状態でプロに来てほしいと願いながら、篠塚はファームで泥だらけになって練習に励んでいたのだ。

 江川は、1978年にクラウンライターの1位指名を拒否し浪人。翌年、「空白の一日」で巨人と電撃契約したことで大騒ぎとなり、最終的に交渉権を持っていた阪神とのトレードという形で巨人に入団。だが、春季キャンプの参加禁止、開幕2カ月間は一軍帯同自粛というペナルティーが課せられ、一軍に合流したのは6月だった。

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