鹿取義隆は自身の「放出報道」を藤田元司監督に確認しに行くと、「出てもいいよ」と返答され巨人退団を決意した (2ページ目)
「前年オフに西本(聖)が中日、シーズン途中に角(盈男)が日本ハム。自分と同年代のふたりが出ていったからね。当然、チームは世代交代しなきゃいけない。そしたら、日本シリーズ前の練習に行く前日、スポーツ新聞に<巨人鹿取放出へ>って出た。僕は毎年のようにトレード話が出ていたから何てことなかったけど、優勝して、これから決戦という時だから『マジか!』となった」
<放出>は事実か否か......。自分を取り巻く現状を冷静に考えると、たしかめることが大事だと思った。早速、練習初日に藤田に尋ねると、「出てもいいよ。もうひと花、咲かせたかったらね」との返答。鹿取はその言葉に寂しさを感じつつ、巨人での立場を悟り、「わかりました。出たいと思います」と答えた。その後、紆余曲折を経て、12月にトレードで西武へ移籍となった。
【最優秀救援投手のタイトル獲得】
「その年、巨人での出番は少なかったけど、シーズン中、練習だけはちゃんとやってたんで、体には何も不安はなかった。ただ、西武はそんなに期待してなかったと思う。たしかに、近鉄に負けて優勝を逃した試合、郭泰源のリリーフに先発の渡辺久信を起用していた。だから抑え不在ではあったけれど、僕の場合、抑えとしての実績は少ないわけだから」
それでも、監督の森祇晶から「とりあえず、うしろ(リリーフ)で行くからな。ベテランの味を出して頑張れ」と言われた。巨人時代、王には何も言われなかった。たまたま抑えで結果がよかったから次も抑え、その次も抑えとなっていたに過ぎなかった。森と同じ巨人OBのコーチ、黒江透修は「西本は中日での1年目に20勝してる。おまえもわかっているんじゃろうな」と言ってきた。
「『は? それってプレッシャーかけてるんですか?』と思ったよ。『頑張ります』って言うしかなかった(笑)。森さんにしても、いきなり『抑えで使う』って言っているわけだから、実際、かなりのプレッシャーがかかって......。巨人の時とはまったく違いました」
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