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角盈男や西本聖たちは、1歳上の江川卓をどう呼ぶべきか悩んだ挙句「スグルちゃん」に決めた (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 角は、西本聖、定岡正二、鹿取義隆らと同級生で、江川のひとつ下。そのため、角たちは江川の呼び名をどうするかで悩んでいた。当時の野球界は、年齢による縦社会が絶対で、通常なら「江川さん」と呼ばなければならない。明治大出身の鹿取は東京六大学リーグの先輩・後輩の間柄のため、「江川さん」と呼ぶことに抵抗はなかった。だが、ほかの選手たちは入団時のシコリがある以上、おいそれと「江川さん」と呼びたくない。そこで角と西本、定岡の3人が協議した結果、「スグルちゃん」でいこうとなった。

 江川自身、愛嬌ある「スグルちゃん」と呼ばれることに、何の違和感もなく受け入れた。

「やっぱり、江川さんはものすごく気を遣っていましたよ。年齢はひとつしか違わないし、練習はずっと一緒でした。江川さんのひとつ下の僕や西本、定岡、鹿取、藤城(和明)もいたし、亡くなっちゃったけど田村勲っていうのもいたし......僕らの年代はピッチャーばかりで、野手がいないんですよ。そういうのもあって、江川さんとは一緒に練習するんですけど、接すると悪い人じゃないし、必要以上に気を遣ってくれているのもわかる。それで、一緒に練習すると、モノが違うというのはすぐにわかりました。『こりゃ、騒がれて当然だな』と。オレらも一応プロですから、力があるかどうかはすぐにわかりますよ」

 江川のひとつ下である角たちの世代は、作新学院での"江川伝説"をリアルに聞いていたし、法政大時代の活躍も報道などで目にしている。西本にいたっては、松山商時代に作新学院と練習試合をしており、江川の怪物ぶりをまざまざと見せつけられていた。

【江川のおかげでレベルアップできた】

 そして角は、江川の入団時の経緯について、こんな話をしてくれた。

「最初、阪神側はオレとニシ(西本)を要求してきたけど、巨人はこれからの選手ということで断ったらしい。それで小林さんになったんです。1976年、77年と2年連続18勝をマークしましたが、それがピークととらえられたのか、もう上がり目はないだろうということで、出されたんじゃないかと言われていますよね」

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