長嶋一茂がヤクルトに入団した際、監督の関根潤三は「お坊っちゃまに打たせてやってくれ」と若菜嘉晴に懇願した (3ページ目)
それを「スポーツマンシップにもとる行為」と断罪するか、それとも「優勝争いとは無縁のチームならではのショーマンシップ」と受け取るかは、もちろん意見が分かれることだろう。しかし、それこそが「関根流魅せる野球」だったのではないだろうか?
「関根潤三という人は、若い頃から裕福で粋な人だったと聞いたことがあります。プロの世界に入ってからも、投手としても、打者としても活躍した"元祖二刀流"だったわけですよね。イケメンで、相当モテたともいうし、固定観念にとらわれず、型にハマらない遊び心を持った人だったと思います。もしも、大谷翔平のような選手がいたら、あの時代であっても、二刀流をやらせたかもしれない。そんな気がしますね」
若菜による「関根評」には、恩師に対する敬意が滲んでいた。
【野村再生工場と関根再生工場】
82年シーズン後、若菜はアメリカ行きを余儀なくされていた。反社会的勢力との交際が噂されるなどの私生活のトラブルによるものだったが、若菜からすれば「自分に原因があるのは確かだけれど、誤解によるものも多かった」という。それでも、関根は若菜の獲得を希望した。その際に、兵庫県警に身分照会までしたという。
「それは実際にあったことのようです。もちろん、何もやましいことはないし、潔白だから、《シロ》という結果が出たんで、大洋は僕の獲得に踏みきったそうです。難色を示す球団を説得して獲得してくれたのはもちろん関根さんのおかげだし、僕のことを勧めてくれた長嶋(茂雄)さんのおかげでもあると、今でも思っています」
関根の自著『若いヤツの育て方』(日本実業出版社)には、若菜について言及しているパートがある。その見出しには「ウワサで選手を評価しない」とあり、噂話に踊らされることなく、自分の目で見て正しい評価を下すことの重要性を説いている。
だから、噂で人を判断することほど愚かなことはない。よく世間には「あの人は××らしいですよ」などと、したり顔でご注進、耳打ち話に及ぶ輩がいるが、こういう連中は絶対に信用しないほうがいい。いつ、足下をすくわれるかわからない。
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