関根潤三は大洋の次期監督候補の長嶋茂雄にバトンを渡すため、阪神を解雇されアメリカにいた若菜喜晴を入団させた (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi

 結果的に、大洋において「長嶋監督」は実現せず、近藤貞雄が関根のあとを継いだ。この間、若菜は不動のレギュラーとして試合に出続けた。ひょっとしたら、そのままアメリカで選手生命を終えていたかもしれなかった若菜に、再起のチャンスを与えてくれたのが関根だった。84年オフ、その恩人はチームを去った。若菜と関根との接点は、わずか1シーズン半で終焉を迎えたのである。

(文中敬称略)

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若菜嘉晴(わかな・よしはる)/1953年12月5日、福岡県出身。柳川商から71年ドラフト4位で西鉄ライオンズに入団。 6年目の77年にレギュラーをつかむと、同年オールスターにも出場。強肩と強気なインサイドワークを武器に活躍した。 79年に田淵幸一、真弓明信らとの2対4の大型トレードで阪神に移籍。82年に自由契約となり、米マイナーリーグのコーチ兼任で在籍。83年のシーズン途中に帰国し、大洋に入団。89年に無償トレードで日本ハムに移籍。91年に現役を引退し、97年からはダイエー(現・ソフトバンク)のコーチに就任し、城島健司らと育てた。現在は解説者として活躍

著者プロフィール

  • 長谷川晶一

    長谷川晶一 (はせがわ・しょういち)

    1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターとなり、主に野球を中心に活動を続ける。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。主な著書に、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ──石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)ほか多数。近刊は『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)。日本文藝家協会会員。

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