まさかの戦力外通告に渡辺正和は「裏方への転身とか、トレードとかないのですか」と球団に問うと「残念ながらありません」と返された (2ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

【福岡大でバイオメカニクスを教える】

── 現役引退後、すぐ教員を目指すことを考えたのですか?

渡辺 いえ、考えていませんでした。ただ、福岡の私立高校から「野球部指導者としてお願いできませんか」と打診されたのです。しかし04年当時、高校生以上を指導できる「学生野球資格」の規定は、「教諭歴2年」でした。つまり、元プロ野球選手の私は、2年間教壇に立つのが最低条件でした。プロ側、アマ側から計3日程度の研修受講により「学生野球資格」が回復されるようになったのは2013年からです。いずれにせよ私は今後のために、「まず教員資格を取得してスタートラインに立とう」と思いました。

── 出身の筑波大学は教員養成の学校でもあります。大学時代に教員免許の取得は?

渡辺 大学3年(1988年)の時、6月の日米大学野球の代表に選んでいただきました。大学4年時も日米大学野球のセレクションに選ばれたのです。そこでの活躍次第によっては、ソウルオリンピックの出場にもつながっていました。ただそのセレクションは、教員免許取得単位に必要な「教育実習」と日程が重なっていました。教育実習はまたどこかのタイミングで行けることがあっても、オリンピック五輪出場の可能性はこの時しかないと思ったので、教育実習はあきらめたのです。結局、オリンピックの日本代表には選ばれませんでしたが......。

── 福岡大大学院に進みました。

渡辺 教員免許取得のためには、不足していた教育実習や座学の単位が必要となります。プロ時代からすでに福岡に生活圏を構えていましたし、福岡大なら母校の佐賀西高にも教育実習も行けましたし。

── そして高校ではなく、大学野球部の指導者になったのですね。

渡辺 06年6月に「高校体育」の教員免許を取得したもののできたのですが、その時点で高校野球部指導の話はありませんでした。教員免許取得のために大学院研究室に所属する必要があったのですが、その研究室の先生の専門がバイオメカニクス(生体力学)だった縁で、それを学びました。簡単に言えば、生物の構造や運動を力学的に探求するものです。そして07年4月より助手となり、野球部コーチも務めることになりました。

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