まさかの戦力外通告に渡辺正和は「裏方への転身とか、トレードとかないのですか」と球団に問うと「残念ながらありません」と返された (3ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── 「教壇というマウンド」はいかがですか。

渡辺 自分の投球のパフォーマンスと違って、言葉で伝えることは難しいですね。学生は反応があったり、なかったり......(苦笑)。

【のちに阪神1位指名の榎田大樹を指導】

── 福岡大学出身のプロ野球選手には、梅野隆太郎選手や白仁田寛和投手がいます。

渡辺 07年から野球部に関わり、15年4月から監督に就任。19年から野球部副部長と投手コーチを兼任しています。私が野球部に来た時、白仁田はもう4年生だったので、あまりいじりませんでした。直接指導したのはその1年下で、私と同じ左腕の榎田大樹です。卒業後、東京ガスを経て2010年にドラフト1位で阪神に入りました。

── 投手育成が専門だと思いますが、どのような指導をするのですか?

渡辺 選手ファーストでしょうか。大学生までその投球フォームでやってきたわけですから。専門のバイオメカニクス(生体工学)が役立てばいいですし、あとは考え方ですかね。自分のボールをしっかり投げ込めるように、「マウンドでは普段やっていることしか出ないよ」「意味のある四球ならいいが、ド真ん中に投げてもヒットになる確率は高くないよ。勝負していきなさい」とアドバイスしていました。

── 今後の展望は?

渡辺 大学の教員として成人を迎える学生に、どうやって関わっていけるかということは考えますね。野球においては、九州六大学リーグ戦優勝、その先にある日本選手権や明治神宮大会の全国制覇というところを目指していきたいです。


渡辺正和(わたなべ・まさかず)/1966年4月12日、佐賀県出身。佐賀西から筑波大へ進学。87年秋の神宮大会で優勝し、国公立大初の全国制覇を成し遂げる。大学卒業後、東京ガスに進み、92年の都市対抗に熊谷組の補強選手として出場。同年秋、ダイエーからドラフト4位で指名され入団。1年目に先発でプロ初勝利を挙げ、2年目は中継ぎで4勝するも、95年以降はケガに苦しんだ。しかし2000年、中継ぎとして60試合に登板するなど、「勝利の方程式」のひとりとして活躍。03年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。引退後が福岡大の大学院に進み、教員免許を取得。その後、福岡大スポーツ科学部講師(バイオメカニクス専攻)に就任し、野球部の指導にも携わるようになる

著者プロフィール

  • 飯尾哲司

    飯尾哲司 (いいお・てつじ)

    静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)

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