プロ野球選手から大学准教授へ 元楽天・西谷尚徳の教育者としての原点「指導という分野に教育学を入れたかった」 (3ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── それは経験からきているのですか。

西谷 私が経験してきたプロ野球のなかで、私はコーチにわかってもらいたい、コーチも私に納得してほしいという場面に出くわしたことがあります。技術を突き詰めることに関して議論をかわせれば、お互いコミュニケーションが取れるのです。指導という分野に「教育学」を入れたかった。私が教育者になりたいと考えた原点ですね。

【現役からセカンドキャリアを考える時代】

── 大学を卒業して、直接教員になろうとは思わなかったのですか?

西谷 その時は考えなかったです。プロに指名してもらえなかったら、社会人野球をやって、いずれ教育界に進んでいたと思います。逆にプロ野球界で大成できていたら、オフは社会(学校)への貢献活動を続けていると思います。大谷翔平選手(ドジャース)の「グラブ寄贈 野球しようぜ!」ではないですが、プロ野球現役時代のオフシーズンは小学校に「野球」という科目をつくって教えたいくらいでした。

── 大谷選手をどう思いますか。

西谷 大谷選手は花巻東高時代から、目標達成シートを書き、選手としての人生設計をしっかりやってきたと聞きました。プロ野球選手は、当然ながら現役引退後の人生のほうがはるかに長いわけです。プロ野球選手を目指す時点で、もうセカンドキャリアの設計をしないといけないと思います。かつては現役時代からセカンドキャリアのことをあからさまに出すと周囲の目が厳しかったですが、やっとそんな時代ではなくなってきたと思います。

── 西谷さんの今後の展望は?

西谷 大学生は社会に出る直前の、ひとまわりもふたまわりも成長していく一番多感な時代です。大学の世界に残って、手助けをする「教育者」でありたいですね。ただ、もう一度人生をやり直すとしても、大学を卒業する時、ドラフト指名されたらやはりプロ野球の世界に進むでしょうし、そのあとは教員と、同じ道をたどると思います。


西谷尚徳(にしたに・ひさのり)/1982年5月6日、埼玉県出身。鷲宮高から明治大を経て、2004年ドラフト4巡目で楽天に指名され入団。06年に一軍デビューを果たすも、07年は右ヒジの手術を受け、1年間のリハビリ生活を余儀なくされる。09年、3年ぶりに一軍出場を果たすも戦力外を受け退団。トライアウトを受け、翌10年は阪神と育成契約を結ぶも同年限りで現役を引退。引退後は高校の国語の教諭として勤務し、13年から立正大法学部の専任講師を務めている

プロフィール

  • 飯尾哲司

    飯尾哲司 (いいお・てつじ)

    静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る