斎藤佑樹が振り返る野球人生「ハンカチ王子であることを心の底から拒んでいた」 (4ページ目)
小学校1年生の時に野球を始めて27年......33歳で引退しましたから、そこから27年経てば還暦です。野球をやってきた日々を振り返るとあっという間だったので、そう考えると怖い話です(笑)。
でも引退後の......27年と言わずもっと長い人生を、野球をやってきた27年に勝るとも劣らないくらい、濃密な時間にしたいと思っています。自分が夢中になれるものは何だろうな、やりたいことって何なんだろうって......それを仕事にしていけたら幸せだと思います。
僕は27年、野球を"プレーして"きました。引退後は野球を"○○する"......この○○に当てはまる何かを見つけたいと思っています。プレーから○○へ切り替わるけど、でも目的語は野球で変わらない。それが僕にとってはやり甲斐のあることなのかなと思います。
今は、日本のどこかに少年野球専用の野球場をつくりたいと考えています。子どもが外野スタンドにホームランを打ち込むことができる、そんなサイズの野球場。その場所の自然を生かして、野球場に集う子どもたちがアスレチックや川釣りを楽しんだり、バーベキューやキャンプをしながら、そこが子どもたちの野球の聖地になっていく......高校生にとっての野球の聖地が甲子園なら、子どもたちの野球の聖地となる野球場をつくれるなんて、ワクワクするじゃないですか。
もし今の僕でも"ハンカチ王子"と呼んでいただけるなら、もはや、まったく抵抗はありません(笑)。現役の時は選手として見てほしいという気持ちがあったんだと思います。
僕は小学生の頃から漠然と、活躍して有名になりたかった。でもそれは野球選手として活躍することが前提です。なのに、甲子園でハンカチを使ったら、野球の実力じゃないところにフォーカスされた。これってたまたまハンカチを使ったからで、実力じゃないところで注目されたんじゃないかと......。時間をかけて、やっと内面も認めてもらえた感覚があるんですかね。
札幌での引退試合の時、ファームの仲間が僕のためにみんなで集まって『勇気100%』を歌ってくれたり、たくさんのお客さんが集まってうれしい声をかけて下さったり、チームメイトが僕のことをいろいろと語ってくれたり、相手チームの監督、コーチ(バファローズの中嶋聡監督、中垣征一郎コーチ)が試合後に残って花束を渡して下さったり......僕、ファイターズでの11年間、自分と向き合って頑張ってきたつもりですが、それが報われた気がしました。斎藤佑樹、最後の最後で、やっと中身で勝負できるようになったのかな(笑)。
終わり
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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