斎藤佑樹が振り返る野球人生「ハンカチ王子であることを心の底から拒んでいた」 (2ページ目)
【ハンカチ王子と呼ばれて】
思えば"ハンカチ王子"と呼ばれて15年......あの夏の甲子園が僕に尋常でない期待を背負わせた、とよく言ってもらいましたが、僕のなかには何かを背負ってきたという意識はありません。
ただ、肩もヒジもこんなに痛いのに、もうこれ以上は無理だと思えるくらいまで長く野球をやりきることができたのは、"ハンカチ王子"も含めて自分ではコントロールできない要素がたくさんあったからだと思います。それは僕がつかみ取りにいこうとしても叶わないことばかりでした。そう考えると、もしかしたら野球の神様が何かを背負わせてくれていたのかな、と思うことはあります。
斎藤佑樹が"ハンカチ王子"になってしまった時、僕は"ハンカチ王子"であることを心の底から拒んでいました。でも、その分、"斎藤佑樹"であることを演じていたところはあったんじゃないかと思っています。
もし今の僕が甲子園で勝った直後に戻ったら、もっともっと"斎藤佑樹"を演じているでしょうね(笑)。高校生や大学生だった時の僕はノリに乗っていましたが、どこかにまだ気恥ずかしさがありました。
いま思うと、よくあの程度で収まっていたなと思います。もっともっと調子に乗っていてもおかしくなかったし、周りのことなんか何も考えずに突っ走っていたとしたら、それはそれで恐ろしい(苦笑)。たぶん、今の僕ならもっと堂々と、周りに配慮しながら、18歳の"斎藤佑樹"を楽しんで演じていたはずです(笑)。
当時の僕は堂々とできず、ヘコヘコしていました。もっと素の自分をさらけ出したかったんですが、自分が置かれている立場を考えた時、遠慮が先に立ってしまっていたんです。チームのど真ん中にいようとしてもよかったんですが、ほかの選手に気を遣って自分は表に出ないようにしなきゃ、とか、周りを見ながら立ち位置を探ろうとしていたところはありました。
ただ、みんなが僕に自分を投影してくれているのは決して苦しいことではなかったと思っています。実際、僕も夏の甲子園の時の自分に気持ちを投影することはありますからね。あの夏、(延長15回の決勝再試合を含めて)準々決勝から4連戦で4連投、4完投(4日で553球)した最後の試合、肩はすごく疲れていたし、身体はまったく動かなかったんですけど、それでも投げなくちゃいけない、と当たり前のように思っていました。
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