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高山郁夫が振り返る独立リーグの指導者時代 四国アイランドリーグ初のNPB選手はいかにして誕生したのか? (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

── 具体的には、どう直していったのでしょうか?

高山 当時の彼は、上半身と下半身が連動しない投げ方をしていました。最後にカベをつくって、腕を走らせるような感覚もなく、力が流れてしまうと言っていました。そこで、「左足を一歩クロスするようにステップして、左肩の開きを我慢してみようか?」と提案しました。もちろん、クロスステップすることのデメリットもあるのですが、まずはカベをつくることを優先したんです。すると、テイクバックがコンパクトになり、カカト重心も改善されました。その結果、球威を落とさず、ある程度コントロールできるようになったんです。

── 課題だったコントロールが改善されて、ドラフト指名につながったのですね。

高山 ただし、どうしても右バッターのアウトコース低めのストレートが、シュート回転してしまう弊害がありました。今度はカベをつくったまま、ステップを真っすぐにして、アウトローへストレートが投げられるか......と取り組んでいきました。

【ソフトバンク二軍投手コーチに就任】

── 西山投手はソフトバンクでは1年目に支配下登録を勝ちとり、一軍未勝利ながら通算4回先発登板するなど存在感を見せました。

高山 いいピッチングはしたんですけど、勝ち星はつけられなかったですね。時間をかけてフォーム修正に取り組んで、チャンスももらっていたのですが......。でも、西山はあの年齢からNPBに行って、よく頑張ってくれたと思います。今も裏方として活躍していると聞いて、大変うれしく思っています。

── 高山さん自身も翌2006年にソフトバンクの二軍投手コーチに就任しています。これはどんなオファーがあったのでしょうか?

高山 当時、ソフトバンクの二軍が四国遠征に来ていて、二軍監督だった秋山幸二から電話があり、ふたりで食事をしているなかでコーチのオファーを受けました。うれしかったのですが、同時に不安と緊張が走ったことを覚えています。

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