斎藤佑樹が日本シリーズでプロ入り後最速の147キロをマークするも「右腕がまったく上がらない。これはヤバい...」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

【名トレーナーとの再会】

 いよいよプロ3年目のキャンプが始まるという(2013年)1月末、これはしばらく投げられそうもないな、と覚悟しました。マネージャーから連絡があって「一軍スタートできそうか」と聞かれたので「難しそうです」と答えて、二軍スタートが決まりました。

 キャンプ前日の1月31日、(沖縄県)国頭のホテルへ着いたら、そこで「斎藤、久しぶり」と声をかけられます。それが中垣征一郎さん(現在はオリックス・バファローズの巡回ヘッドコーチ)でした。

 中垣さんは僕が入団する前の2010年までファイターズのチーフトレーナーをしていたんですが、僕と入れ違いでチームを離れ、その後はダルビッシュ(有)さんの専属トレーナーとしてアメリカへ行っていました。ただ、僕は中垣さんとは面識があって、この年、ファイターズにトレーニングコーチとして復帰した中垣さんと久しぶりの再会を果たしたというわけです。

 中垣さんは会ってすぐ「斎藤、明日はどうする?」と訊いてくれました。だからこれまでの流れについて説明したら、いきなり「うつぶせになって」と言うんです。すぐにうつぶせになったら、今度は「そのままバンザイして、左腕を上げてみて」と......左腕はスッと上がりました。「じゃあ、右腕を」と言われて上げようとしたら、まったく上がらない。それどころか、どこに力を入れたらいいのかさっぱりわからなかったんです。僕、もうビックリして「あの〜、動かし方がわからないんですけど」と言ったら、中垣さんは「ああ、大丈夫、大丈夫、だいたいこんなもんだから」と、すべてわかりきっていた、という顔をしたんです。

 で、背中を触って、腕を触って、あれは神経を刺激したんですかね。そうしたら、右腕がちょっと動くようになって......あれは衝撃でした。それまでの2カ月、いろんな人に診てもらって、起こっている身体のエラーを自分なりに把握していたつもりでしたが、ちっともわかっていなかったんです。

*     *     *     *     *

 右肩を痛めた斎藤は、中垣とともに時間をかけて復帰を目指そうと腹を括った。その年の国頭の二軍キャンプには、ドラフト1位でファイターズへ入団した大谷翔平がいた。大谷が動くたび、たくさんの報道陣がゾロゾロと大移動を繰り返す。2年前、そんな人だかりの真ん中にいた斎藤の周りは一気に静かになっていた。

(次回へ続く)

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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