元阪急のブーマーは「穏やかで情が深い人間」 松永浩美が振り返る、カエルのイタズラや誕生日サプライズ (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【日本に慣れるために「すごく努力していた」】

――ブーマーさんは来日1年目から打率.304、17本塁打、62打点と結果を出しました。野球への取り組み方はどうでしたか?

松永 一生懸命にメモを取ったりして、打つために必要な情報を熱心に集めていました。あと、「日本人はどんな言葉を言われたら嫌なの?」と聞いてきたりもしましたね。アメリカンジョークと日本のジョークはちょっと質が違いますけど、そういった部分も気をつけていたみたいです。

――豪快なイメージがありますが、性格は繊細だった?

松永 ロッカーにいる時と、ユニフォームを着てメディアの前で話す時は違いますからね。ブーマーと私はロッカーが近かったので、通訳のチコ(ロベルト・バルボンの愛称。選手時代は阪急で3度の盗塁王に輝くなど活躍した)も交えてよく話していました。アメリカと日本では文化も風習も違うから、まずは野球より文化を教えたほうが彼にとってもいいかなと思っていましたし、互いの距離感が遠くならないように、とも思っていました。

――具体的に、どんな会話をしていたんですか?

松永 「レストランはどこか美味しいところを知ってるの?」「どんな人と食べに行ってるの?」といった感じで話してあげたり、箸を持つ練習を見てあげたりとかね。ブーマー自身も、食事ではなるべく箸を使う食べ物を注文することが多かったし、日本に慣れようとすごく努力していました。

 ある日、球場まで来る手段を聞いたら「電車で来てる」というから、「電車で来たら、頭が(入り口や天井に)ぶつからない?」と聞いたんですよ。実際に電車はいろいろと大変だったみたいで、軽くしゃがんだり、頭を下げたりしながら乗っていたみたいです。それに、車両の真ん中に立っていたら目立つから、なるべく邪魔にならないように端のほうに立っていたそうです。

 あと、デブラ夫人には頭が上がらなかったみたいですね。「愛妻家」と言われていましたが、奥さんのことはけっこう怖がっていましたよ(笑)。だから、ブーマーが羽目を外したという話は聞いたことがありません。羽目を外していたのは、アニマル(・レスリー)のほうでしたね。

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