斎藤佑樹「北海道の人たちに毛嫌いされているんじゃないか...」たったひとりの日本ハムの入団会見に不安を抱いていた (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 プロへ入る時、たくさんの早稲田のOBの方々から「いろんな人が寄ってきて甘い誘惑にだまされることも多いから気をつけろよ」と言われてきたんです。いろんな人ってどういう人たちなんだろう、いつ誰が僕をだましに来るんだろうって、ずっと逆に期待しながら(笑)、周りの様子をうかがっていました。

 でも周りの人はいい人ばっかりで、結局、そういう人は僕のところへは誰も寄ってきませんでした。日高さんのおかげで、ファーストインプレッション、明るく挨拶のできる人かどうかを見るようになりましたし、僕も初対面の人にはできるだけ明るく挨拶をしようと思っていました。だからネガティブな人が近寄らなかったのかもしれません。

 2月、キャンプは沖縄の名護でした。一軍スタートで、メディアの人たちもたくさんいて、気の休まる間がない日々でしたね。仲のよかった同期は二軍の国頭(くにがみ)キャンプでスタートしていたので、余計、寂しかったんだと思います。

 ひとりになれる空間がほしくて、宿舎の部屋のカーテンを一度も開けなかったことを覚えています。廊下に出たくない、窓から外の景色も見たくない、人に会いたくない......キャンプが始まって少ししてからは、そんな精神状態になってしまったことが印象に残っています。

*     *     *     *     *

 名護のホテルのカーテンを開ければ、エメラルドグリーンの海が見えたはずだ。しかし斎藤がカーテンを開けることはなかった。頑丈な殻のなかに閉じこもって自分を守るよりほかに術(すべ)がなかったのかもしれない。ブルペンに入れば、やれテイクバックが小さい、踏み出した左足に体重が乗っていかないだの、フォームの欠点をやたらと論(あげつら)われる。プロ1年目の斎藤は喧噪のなか、孤独なスタートをきっていた。

(次回へ続く)

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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