斎藤佑樹「北海道の人たちに毛嫌いされているんじゃないか...」たったひとりの日本ハムの入団会見に不安を抱いていた (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 大学生の僕に対する接し方や気遣いが心地よくて、「ああ、こういう大人になりたい」と思いました。僕のことをいきなり「佑樹」と呼んで下さったんですが、上から来る感じがまったくなくて、こういうコミュニケーション能力を持てたらいいなと思いました。日高さんを見ていたら、大袈裟でなく、人としてのあり方、大人としてどうあるべきかという価値観が変わりました。

 それまでの僕は、たとえば大学では主将も経験しましたが、多くを語らず、言葉でなく背中で引っ張るみたいな大人がカッコいいと思っていたんです。でも日高さんは底抜けに明るくて、言葉にも力がある。日高さんは稲葉(篤紀)さんについていたことがあって、栗山(英樹)さんについている岸(七百樹)さんもそうなんですけど、プロ野球のマネージャーってこんなふうに大人としてカッコいい、魅力的な人じゃないと務まらないんだなと思いました。

【カメラマンに追われる日々】

 年が明けて、僕は寮に入ります。スーツを着て、キャリーケース一個で入寮しました。部屋は501でした。同期の新人が5人いて、すごく仲がよかったんです。

 (西川)遙輝(智辯和歌山)、(谷口)雄也(愛工大名電)が高校からで4つ下、乾(真大/東洋大姫路〜東洋大)と(榎下)陽大(鹿児島工〜九州産業大)が大学からだったので同い年、齊藤勝さんが社会人出身(修徳〜セガサミー)で1つ上。6人で浦安の焼肉屋さんへ行ったりしていましたね。楽しかったなぁ。

 ただ、あの頃の追いかけられ方はすごかったですね(苦笑)。それこそ学生時代からずっと通っている治療院に行こうと思って電車に乗ったら、カメラマンの方がついてきたんです。それがものすごく嫌で、僕のほうから声をかけました。「ずっとついてこられてますけど、僕、今から治療院へ行くだけなんで、おもしろいものは何も撮れませんよ」って......そうしたら「別についてってませんよ」って感じで、そういうことが日常茶飯事で、それはちょっと大変でしたね。

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