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2001夏の甲子園優勝投手・近藤一樹が語る恩師 日大三高・小倉全由監督はセンバツで負けた日に「お前らなら全国でトップになれる」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【「根拠のない勘違い」を経て、チームは急成長】

 高校入学時は「これで勝てるんかな?」というレベルだった。しかし、高校2年の夏、近藤自身も、そしてチームも一気に急成長を遂げることになる。

「ひとつ上の代の先輩たちがなかなか勝てずに、すぐに負けてしまったんです。そうなると、僕たちの代が中心となる新チームはめちゃくちゃ夏が長いんですよ。甲子園まで行けば、8月半ばまで大会が続くから、夏休みの練習期間も短くて済むのに、僕らの代は7月から1カ月半くらい猛練習でしたから。

 監督も必死でしたよ。実力ある3年生が勝てないんだから、僕ら2年生が勝てるはずがない。きっと、そう思ったんだと思います。もう、めちゃくちゃ練習しましたから(笑)」

 猛練習の結果、個々の選手たちの実力が急激に上がった――。こちらがそう理解していると、近藤は「いや、そうじゃないんです」と笑顔になった。

「決して、上手になったわけじゃないんです。むしろ、ただ単に根拠のない勘違いをしただけなんです(笑)。本当にめちゃくちゃ練習したから、一人ひとりが勝手に『こんなに猛練習するチームは他には絶対にない』という気になっていました。それで、ひとりが頑張ると、もうひとりも『オレも頑張ろう』となっていって。全寮生だったので、なおさら効果も出てきました。その結果、根拠のない自信が生まれて、実際に試合でも勝ち始めていったんです」

 基礎体力作りでは、仲間が10本ランニングをするなら自分は11本走る。自主練習において、ライバルが30分汗を流すならば、自分は1時間グラウンドに残る。そんないい相乗効果が生まれていた。のちにプロ入りする内田和也、千葉英貴、都築克幸らも切磋琢磨していくなかで、近藤たちの代は着実に力をつけていく。そしてついに、2001年夏、日大三高は甲子園出場を決めたのである。

「1回戦は鹿児島の樟南高校でした。抽選会でキャプテンがくじを引いた時、みんなキレたんです。『いきなり樟南高校かよ』『絶対に勝てるはずがない。1回戦で負けるのかよ』って。でも、いざ対戦した時に、『あれ?』って思ったんです......」

 試合開始直前、相手高校を前に整列した瞬間のことだった。

「......相手と向かい合った時に、なぜだかわからないけど、『あれ、勝てそうだな』って思ったんです。それも、何も根拠がないんですけど、確かにそう思ったんですよね。僕自身も痩せていたくせに、相手選手を見て、『みんなひょろひょろだな』って思ったんです(笑)。そこからは順調に勝っていきました」

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