コロナ感染の大量離脱を振り返り「あの頃は本当に厳しかった」。ヤクルト髙津臣吾が真中満に明かす自宅療養中に考えていたこと (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

【ポイントは8月26日からのベイスターズ3連戦】

真中 僕、変な解説していませんでした(笑)?

髙津 もちろん、変なことは言ってないですよ。そもそも耳に入っていないぐらい夢中で画面に釘づけになっていましたね(笑)。僕もベンチに入りたいという思いと、第三者的に「ここはピッチャー代えるのかな?」とか「代打を出すのかな?」とか、完全にヤクルトファンの方がじっと見ているような感じ。

 でも、あの頃は本当に厳しかったですよね。何しろ、村上(宗隆)しかいないんだから(苦笑)。幸いだったのは、投手陣はそろっていたので、極端に壊れる試合はなかったけど、まぁ7、8月は大変でした。

真中 7月2日には「マジック53」が点灯しましたよね。あまりにも早い時期なので、僕にはまったくピンとこないんですけど、監督としてはどうでしたか?

髙津 まさにそのとおりです。まったくピンとこない(笑)。何しろ、7月の頭でしょ? 「マジック53ということは、残り53勝しなくちゃいけないのか? いやいや、そんなことはないよな」とか、よくわかっていない感じ。

真中 じゃあ、意外と冷静に、ふだんどおりに1試合1試合を戦おうという感じ?

髙津 そうそう。「あぁ、そうですか、53ですか」という感じ。これが、マジック10とか、残り1ケタとなると、「よし、残りわずかだ、頑張るぞ!」ってなるけど、本当にピンとこなかったですね。その1週間後にはコロナ陽性がドッと出ることになったし。

真中 それでも何とか8月を乗りきって、終盤までしっかりと戦いましたよね。僕としては、8月26日からの横浜DeNAベイスターズとの3連戦がポイントだったと思っているんです。

 4ゲーム差まで追い上げられて、ここで3連敗を喫することになれば、ゲーム差は1となる。しかも、ヤクルトはコロナ禍によって本調子じゃない。一方のベイスターズは本拠地で17連勝もしていました。あの3連戦はどういうイメージで臨んだんですか?

髙津 確かに、あの時はベイスターズがすっごくいい状態で、うちはあまり調子がよくない時期だったので、スワローズのほうが分は悪かったけど、僕は、本当の山場はまだ先にあると思っていましたね。なので、みんなを集めて話したりもしませんでした。ただ、ちょっと神がかっている部分はありましたね。

真中 村上が3連戦で4本のホームランを放ったり、(パトリック・)キブレハンの3連発があったり、確かに神かがっていました。

髙津 確かに神かがっていましたね。8月27日の2戦目では7本のホームランも出ましたからね。向こうも全力で向かってきたけど、初戦をとったことで自信を持って戦えたという気はしますね。

真中 2021年の優勝経験がすごく活かされている気がしましたね。チームのムードも決して悪くなかったように見えたし。

髙津 僕自身、なるようにしかならないという思いはありましたね。もちろん、全力は尽くすけど、相手のあることなので負けることもあるのはしょうがないと思っていました。

 だから、僕としては全力プレーを怠らないとか、野球以外の揉め事を起こさないとか、そういう点だけをしっかり注意することを心がけていました。勝つ努力をしっかりしたうえで、それで負けたら仕方がないという意識でした。

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【プロフィール】
髙津臣吾 たかつ・しんご
1968年、広島県生まれ。広島工高、亜細亜大を卒業後、1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。守護神として活躍し、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年、MLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。その後、ヤクルト復帰や、韓国、台湾のプロ野球、独立リーグ・新潟アルビレックスBCを経て、2012年に現役引退。ヤクルトの一軍投手コーチや二軍監督を務めたのち、2020年から一軍監督に就任。2021年は日本一、2022年はリーグ連覇を達成。

真中満 まなか・みつる 
1971年、栃木県生まれ。宇都宮学園、日本大を卒業後、1992年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2001年には打率.312でリーグ優勝、日本一に貢献した。計4回の日本一を経験し、08年に現役引退。その後、ヤクルトの一軍チーフ打撃コーチなどを経て、監督に就任。15年にはチームをリーグ優勝に導いた。現在は、野球解説者として活躍している。

【著者プロフィール】
長谷川晶一 はせがわ・しょういち 
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て、2003年からノンフィクションライターとして、主に野球をテーマとして活動。2005年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。主な著書として、1992年、翌1993年の日本シリーズの死闘を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『プロ野球語辞典シリーズ』(誠文堂新光社)、『プロ野球ヒストリー大事典』(朝日新聞出版)。また、生前の野村克也氏の最晩年の肉声を記録した『弱い男』(星海社新書)の構成、『野村克也全語録』(プレジデント社)の解説も担当する。

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