杉谷拳士が栗山英樹監督からの言葉に号泣。斎藤佑樹に「現役引退までの経緯と葛藤」を明かした (4ページ目)

  • text by Sportiva
  • photo by Saito Yuki

斎藤 そういうことって、頭で理解していても簡単にできることじゃないよね。

杉谷 自分のミスによっていっぱい迷惑をかけましたし、チームメイトには本当に申し訳ないという気持ちはありましたけど、じゃあそのまま下を向けて野球をやるのか、それともカラ元気でもいいから前を向いてやるのか......。それだけでも周りの印象ってすごく変わってくるなと思ってやっていました。

斎藤 僕も二軍にいた時間が長くて、拳士が一軍から鎌ヶ谷に来た時にすごく元気を出してたよね。その姿を見た二軍監督の原田(豊)さんが「みんな杉谷を見習ってほしい」って言っていて。みんながああなってくれたら絶対に強くなると。だから「本当は一軍に行ってほしいんだけど、ずっと二軍にいてほしい(笑)」と。

杉谷 プロである以上、一軍の試合に出たいという気持ちは強いですし、いつまでもここにいてはダメだという思いはありました。ただ、次への一歩目は新しい気持ちでスタートしなきゃと思っていたので、そう言っていただけのはすごくありがたいですね。

後編につづく>>

斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業3年時の2006年、夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。引退後の12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる

杉谷拳士(すぎや・けんし)/1991年2月4日、東京都生まれ。帝京高1年夏からレギュラーとして甲子園に出場し、3年では主将を務めた。2008年ドラフト6位で日本ハムに入団。2年目にイースタンリーグで133安打を放ち、シーズン安打記録を樹立(当時)。2019年には史上4[SHUEISHA 1]人目の両打席本塁打をマーク。スイッチヒッターだけでなく、内外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーとして存在感を発揮。しかし、2021、22年は打撃不振に陥り、今シーズン限りで現役引退を表明した

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る