杉谷拳士が栗山英樹監督からの言葉に号泣。斎藤佑樹に「現役引退までの経緯と葛藤」を明かした (3ページ目)
ムードメーカーとしてチームを支え続けた杉谷拳士この記事に関連する写真を見る
ファームで過ごした貴重な時間
斎藤 プロ3年目で初ヒットを打ったわけだけど、それまでは二軍でずっと頑張ってきたわけじゃない。ファームでやっていた時って、振り返ればどんな時間だった?
杉谷 僕のなかでは、当時コーチだった三木(肇)さんと過ごした時間というのが基礎になっているというか、土台になっています。野球の技術はもちろんですが、人との接し方だったり、生活面だったり、プロ野球選手としてのあり方を教えてもらいました。
斎藤 僕も吉井(理人)さんにいろいろと教えてもらって、それがすべて身になっているんだけど、三木さんから教えてもらったことは、次のステージでどう生かされると思う?
杉谷 プロに入った時、正直「よっしゃ、これからガンガン行くぞ!」という感じだったんですが、まず段階を踏まないことには一軍でもプレーできない。そういうことを三木さんからは教えられた気がします。これから新たな目標が出てくると思うのですが、ひとつずつクリアして、最終的にそこにたどり着ければいいかなと。
斎藤 拳士と一緒にやってきて、ほんとにすばらしい人柄だと思う。それってどこから来てるの?
杉谷 小さい頃、母親には「やりたいことやらせてあげるから、チャレンジしなさい」って言われて、水泳やサッカー、公文などいろいろやらせてもらったんです。「その代わり、やるからには責任を持ちなさい」と。いいことも悪いこともそこから学べたと思いますし、チャレンジしないことには何も始まらない。そういう経験が、今にすごくつながっているのではないかと思っています。
斎藤 お母さんの影響が一番大きい?
杉谷 大きいと思います。
斎藤 とにかく元気を出して、どんな時もそうだったじゃない。それってなかなかできることではないと思うんだよね。誰だって苦しい時はあるのに、それでも拳士はいつも元気でチームを何度も救ってくれた。それって自然にできていたのか、それともそういうことを大事にしていたのか。どっちなんだろう?
杉谷 ベンチで声を出したり、チームを勇気づけたり、それって小さい時から自分に対しての鼓舞でもありました。「野球って楽しい」ってところから始まったので、その気持ちだけはやめるまで持ち続けようと。
3 / 4