ラッキーゾーン撤去から始まった92年タイガースの快進撃。八木裕「なんぼ点とればええの?」から投手陣が変わった (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「嫌ではありましたよ、『また』って言われるのは。ちょっと勝っていても、負け出すと、前年までの状態が頭をよぎりました。ただ、ピッチャーと野手、その守りと攻撃を含めたバランスがよかったので、そういう時もあるだろう、と。監督もそうでしたけど、選手同士、『こういう時もあるわ』と言い合える雰囲気でした。

 それに、和田さんが直接選手に言うわけじゃなくて、マスコミに対して『全然、大丈夫だ』と。発破をかけるようなコメントをよく出していました。我々はそれを見て聞いて、『そうか、そうなんだな』と納得していました。和田さんは85年の優勝も知ってますし、心強い、頼りにできる選手会長だったと思いますね」

 92年の和田はプロ8年目で33歳。開幕から1番に固定され、その時点で3割の打率を残し、まさに戦いの先頭に立つリーダーだった。連敗から脱出した直後には、和田、亀山、久慈、パチョレック、そして八木が、ファン投票でオールスターに選出されたことが発表された。

「私自身、前半戦の打率は2割ちょっとでホームランが9本です。そのような成績で選んでいただいて、ありがたい限りでした。ただ、そのオールスターの打席でタイミングの取り方を少し変えたら、ボールがよく見えるようになって、『この感じかな』というのがあった。それで後半戦、いいタイミングの取り方ができるようになったんですね」

 復調のきっかけをつかんだ八木は、8月に入ると5番に固定された。最終的には打率を5分近く上げ、チーム日本人選手でトップの21本塁打、60打点。貢献度の高さが光っていた。

「たしかに、後半戦は貢献できたと思います。でも、トータル的な打線については、終盤になると湿り出しましたよ。まあ、その......幻のホームラン後ですね」

後編につづく>>

(=敬称略)

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る