斎藤佑樹に本間篤史が直球質問。伝説の甲子園決勝「あの場面、なんでフォークだったの? いまだに信じられない」
スポルティーバ対談 斎藤佑樹×本間篤史(後編)
昨年秋、クラブチーム「TRANSYS」の監督に就任した本間篤史この記事に関連する写真を見る
早実に負けたのはオレのせい
斎藤 本間と初めて対戦したのは2年秋の明治神宮大会(2005年の準決勝)だったね。
本間 あの時、オレ、1打席目から2打席連続で三振してるんだよね。で、3打席目に向かう時、香田(誉士史/元駒大苫小牧高校監督、現在は西部ガスの監督)監督に怒られてさ。初球から振れって言われて、ハッと思って初球から思いっ切り振ったら、当たった(レフトスタンドにソロホームラン)。
斎藤 あの時って、そんな感じだったの?
本間 当時のオレって2打席連続で三振なんかしたら、もうメンタル、ダメだったんだよね。1打席目に打てなかっただけで気持ちが落ちちゃってたし......乗れないっていうのかな。「うわっ、今日は打てねえや」みたいな感じ。
斎藤 僕はあのホームランは決め打ちされたんだと思ってた。ヤマを張られたか、サインがわかってたか、そんな感じじゃなかったらあんな大胆にフルスイングできないよなって。普通、続けて三振、三振となれば、次は当てにくるじゃん。でも思いきり振ってきたから、これは何かあるぞって思ってた。
本間 あれは香田監督に怒られたからさ。「初球から振れや!」「ハイッ」って。
斎藤 そんな単純な話だったんだ(笑)。早実はあの明治神宮大会の負けから、打倒・駒大苫小牧を意識して目指したんだよ。
本間 ウチはあのあと、不祥事でセンバツを辞退したでしょう。正直、夏まではほかのチームを意識するどころじゃなかった。練習しない時期もあったし、やめるという部員もいたし、香田監督もやめるかもしれないなんて話になって......ホントにチームがヤバかった。キャプテンと各ポジションの副キャプテンが集まって、どうしていくかをさんざん話し合ったんだ。だからセンバツでどこが優勝したのかも知らなかったよ(早実に準々決勝で勝った横浜が2006年春のセンバツで優勝)。
斎藤 でも、そこから立て直して、夏の甲子園では決勝まで勝ち進んできたんだもんね。
本間 センバツ辞退があったからだと思う。つらい時期をみんなで乗り越えて、チームがまとまったのよ。
斎藤 そうだったんだ。
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