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「斎藤佑樹に鼻っ柱を折られた」。駒大苫小牧の「メガネの4番」がハンカチ王子に当時の思いを明かした

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 斎藤佑樹●撮影 photo by Saitoh Yuki

スポルティーバ対談 斎藤佑樹×本間篤史(前編)

 好評連載『斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白』のアザー企画、『斎藤佑樹が会いたい人&撮りたい人』を対談形式で不定期にお届け。第2回目のゲストは、2006年夏の甲子園で斎藤佑樹擁する早稲田実業と決勝引き分け再試合の激闘を演じた駒大苫小牧の4番・本間篤史(現・TRANSYS監督)。今だから語れる伝説の決勝戦の裏話など、ぶっちゃけトーク満載のスペシャル対談、まずは前編スタート!

2006年夏の甲子園決勝で戦った斎藤佑樹(写真左)と本間篤史2006年夏の甲子園決勝で戦った斎藤佑樹(写真左)と本間篤史この記事に関連する写真を見る

ハンカチ王子とメガネの4番

斎藤 本間、監督になったんだね。

本間 そうなんだよ。助監督を1年間やらせてもらって、去年の秋だったかな......「監督をやらないか」という話をいただいてね。すぐに「やる」と返事をして、昨秋のオープン戦は試合に出ながら、自分がどこの打順にいたら監督としてサインを出しやすいのかなとか、考えながらやってた。

斎藤 最初に監督をやらないかと言われた時はどうだった? ビックリした?

本間 いや、やりたかったからね。もうずっと、監督をやりたかった。

斎藤 2018年の12月にコーチ兼任の選手として「TRANSYS」(千歳市のクラブチーム)に加入したんだよね。

本間 JR北海道で7年プレーして、都市対抗に5回、日本選手権にも4回出たんだけど、今の妻と結婚しようと思った時、札幌に勤務し続けるのは厳しかったのさ。妻は富川って鵡川のさらに先、日高のほうに実家があって、札幌からだと車で高速を使っても2時間近くかかる。彼女の実家は自営業なんだけど、結婚したら富川に住んで家業を手伝おうかなって......JR北海道は好きだったんだけど、野球はもういいかなと思って、2017年のシーズンを最後に引退したわけ。

斎藤 でも、こうしてまた野球を始めたのはなぜだったの?

本間 それは斎藤のせいさ(笑)。

斎藤 僕の? なんで?

本間 夏の甲子園で、100回記念大会の始球式があったじゃない?(2018年、夏の甲子園大会で行なわれた活躍した元球児によるレジェンド始球式) あの後、いろんな人から、なぜ野球をやらないのかって言われてね。丸一年、野球やってなかったんだけど、「これはやるしかねえな」って思った。JR北海道の人も今のチームで現役に復帰することを快く許してくれたので、千歳にある今のTRANSYSにお世話になることにしたのさ。富川からは札幌に比べればかなり近いからね。

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