原辰徳はジャイアンツきっての「再生屋」。初の監督就任から20年、冴え渡るもうひとつの手腕 (2ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Kyodo News

補強は大物選手ばかりではない

 巨人の戦力補強と言えば、FA戦線で同一リーグのライバル球団から主軸を引き入れるイメージが強い。実際、原監督が2001年オフに初めて監督に就任した第一次政権、2005年オフに復帰して2015年まで長期政権を敷いた第二次政権、そして2018年オフに3度目の登板を果たした第三次政権で、巨人は数多くのFA補強を敢行してきた。

 16年間でその数16人。FA補強をしなかったシーズンも7年あるものの、そうした年には2002年のペタジーニ(ヤクルト)やペドラザ(福岡ダイエー)、2007年のアレックス・ラミレス(ヤクルト)やグライシンガー(ヤクルト)やクルーン(横浜)などのように、日本プロ野球で実績のある外国人選手を手中に収めている。

 華々しさゆえにスポットライトがそこに当たるのは当然なのだが、一方で原監督が歴代の巨人監督と違うのは、『再生屋』としての色気も見せてきたことだろう。中田や中島のように環境や起用法を変えれば再生できる、戦力になる、と睨んだ選手に何度も手を差し伸べてきた。

 そこで今回は、原監督がこれまでの16年間で獲得した、他球団で働き場を失って自由契約や戦力外になったり、金銭・無償トレードで自軍に引き入れたケースを振り返ってみよう。

 ヘッドコーチから監督に昇格した2001年オフは、中日を戦力外になった武田一浩を獲得。2002年シーズンの武田は夏場に負った故障のためにこの年かぎりで引退するものの、プロ生活15年目の最後の眩い光を放っている。5月に古巣の中日戦で先発して勝利投手となり、史上3人目となる全球団からの勝利記録を達成。原監督が36歳のベテランにチャンスを与えなければ生まれない記録でもあった。

 第二次政権がスタートした2005年オフは、清原和博が自由契約でオリックスへ、江藤智がFA人的補償で西武へ、岡島秀樹が交換トレードで日本ハムへ去った一方、小関竜也(前・西武)をテストで、小坂誠(前・ロッテ)と大西崇之(前・中日)を金銭トレードで獲得。守備や走塁で定評があった3選手は、打力の求められる巨人では脇役に徹さざるを得なかったが、引退後に"戦力"になった。

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