原辰徳はジャイアンツきっての「再生屋」。初の監督就任から20年、冴え渡るもうひとつの手腕 (4ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Kyodo News

巨人移籍でプロ生活が延命した

 2014年からの井端は、同年からFA移籍で加入した片岡治大の控えにまわったものの、内野のユーティリティとして存在感を発揮。2000本安打まであと88本に迫ったが、原辰徳第二次政権が幕を下ろした2015年かぎりでユニフォームを脱いだ。

 2014年オフに落合GMのもとで戦力外となった堂上と吉川も、原監督のもとで一時の光を放っている。2015年シーズン、堂上は育成選手から春季キャンプで支配下登録を勝ち取ると、力強い打撃で存在感を示して59試合で打率.276、3本塁打、13打点。翌年も左の代打として43試合に出場した。

 2011年ドラフト2位で中日に入団した吉川は、PL学園の先輩・立浪和義の背負った「背番号3」を引き継ぎ期待された。しかし、2014年オフの秋季キャンプ参加後に落合GMから戦力外通告を受ける。

 中日時代の3年間で34試合しか出場機会のなかった吉川だったが、2015年から加入した巨人では守備固めや代走で一軍に居場所をつくり、2020年までの5シーズンで234試合に出場した。わずか3年間で潰えていた可能性もあったプロ生活は、原監督のもとで8年まで延びた。

 右ひじ手術もあって今季は育成契約に戻った田中豊樹も、原監督のもとで花開いた選手だ。2015年ドラフト5位で日本ハムに入団したが、一軍でパッとしないまま2019年オフに戦力外通告。2019年の12球団合同トライアウトを経て巨人に育成契約で入団した。

 2020年、二軍での活躍が認められて7月に支配下選手登録されると、前年まで菅野智之がつけていた「背番号19」を与えられる。その期待に応えて、中継ぎで31試合1勝1敗1ホールド、防御率4.88の成績を残し、背番号59になった昨シーズンも39試合に登板し0勝0敗2ホールド、防御率2.84と存在感を示した。

 プロ野球は「最後は結果がモノをいう」世界であるが、まずはチャンスがなければ、結果の出しようがない。『再生屋』としての評価は委ねるが、原監督は16年の監督業のなかで数多くの選手にセカンドチャンスを与えてきた。そして今年は、どんな選手がそのチャンスを掴み、結果を残せるのか。原監督のもうひとつの手腕にも注目したい。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る