球界最年長の福留孝介に澤井良輔は「サラリーマンだって大変なんだぞ!」って胸を張って言いたい (2ページ目)

  • 田口元義●文・写真 text. & photo by Taguchi Genki

 冒頭で澤井が話した「あんな打ち方」。それが、プロでのネックとなった。将来性豊かな選手を育てようと指導者が躍起になる。言われるがままフォームを変えていった澤井は、長打で鳴らしていた自分を見失っていた。

指導するコーチに嫌気

 1年目も半年が経った頃だ。二軍で調整していた主戦ピッチャーの小宮山悟から呟かれたひと言が、今でも脳裏に焼きついている。

「なんか、ちっちゃくなっちゃったね」

 ショックだったが、それが変革への兆しとなったわけではなかった。当時の澤井にとっては結果がすべてだったからである。

「小宮山さんは覚えてないと思うんですけど、僕ははっきり覚えてるんです。だからといって、『そう見えるんだ』くらいにしか思わなかったんですね。あの時はバットにボールが当たんないんだから、当てるのに必死だったんです。だから、構えもスイングも本当に小さくなっていたんでしょうね。いま思えば、結果が出ようが出まいが『ホームランを打とう』ってこだわり抜けばよかったんですけど」

 すべてが悪循環だった。打てなければ試合に出られない。高校では1年春から試合に出ていた澤井にとって、プロの二軍であろうとスタメンではない自分を許せなかった。パフォーマンスへと直結しないのに、鼻息荒く指導するコーチ陣にも嫌気がさしていた。

 この時の澤井は、いわば腐っていたのだ。

「練習なんてチームの最後に来て、最初に帰っていたくらいですから。誰にもかまってほしくなかったんですね。メンタル的にかなりヤバかったですよ」

 そんな、露骨なまでに首脳陣への拒否反応を示していた澤井をかまい続けた指導者がいた。2年目に二軍監督となった山本である。

「なんやこの数字。あの日、頑張れ言うたやろ。1位の選手は誰よりも頑張らないかん」

 澤井がすっかり忘れていた1年目の春季キャンプでの言葉の真意を、新二軍監督は厳しく指摘したのである。出場44試合で打率2割3分2厘、3本塁打、9打点。高卒ルーキーだったとはいえ、澤井のポテンシャルを考えれば優れた成績とはいえなかった。

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