阪神時代のビッグボス二刀流、3秒2球ノック、夜の街での「仰木マジック」も。春キャンプで起こった伝説の瞬間

  • チャッピー加藤●文 text by Chappy Kato
  • photo by Sankei Visual

 いよいよ球春到来、今年も「プロ野球界の正月」、キャンプインの季節がやってきた。めったに見られないシーンや、珍事件が起こるのもキャンプならでは。今回は過去、春季キャンプ中に生まれた「伝説」を振り返ってみたい。

1999年の阪神のキャンプで投球練習をする新庄剛志(中央)と野村克也監督(左)1999年の阪神のキャンプで投球練習をする新庄剛志(中央)と野村克也監督(左)この記事に関連する写真を見る***
   
 昨年のメジャーリーグを沸かせた、大谷翔平の投打二刀流。だが大谷よりずっと以前、キャンプ中に監督から「二刀流挑戦」を命じられ、実際にオープン戦で登板した野手がいる。そう、若き日の"ビッグボス"、阪神時代の新庄剛志だ。

 1999年、野村克也監督就任1年目の阪神・安芸キャンプ。名将は低迷する虎を「ID野球」でどう立て直してくれるのか? ファンが期待するなか、野村監督の目に留まったのが新庄だった。

 本人が昨年夏、阪神OB・中西清起氏のYouTubeチャンネルで披露した話によると、新庄はホームベース付近に落ちていたボールを外野バックスクリーンに向かってノーステップで投げ、ノーバウンドで当ててみせた。「ほんの遊び心」だったそうだ。

 これを見ていた野村監督が、新庄に「ピッチャーをやってみないか?」と持ちかけ、新庄は打撃練習とブルペンを掛け持ちすることになった。報道陣が連日追いかけたのは言うまでもない。

「新庄投手」は紅白戦では打たれたが、3月のオープン戦で巨人相手に1イニング登板。元木大介・二岡智宏・後藤孝志をみごと3者凡退に打ち取ってみせた。しかし、その試合の打席で新庄は左大腿筋を損傷。結局、公式戦での二刀流デビューは実現しなかった。

 野村監督が二刀流を提案した真意は、話題作りもあるが、新庄に投手心理を知ってほしかったからだ。投げる側の気持ちがわかれば、打者としてさらに成長できる。反対側のベンチから敵将として新庄を見てきた野村監督は、その打撃センスも高く評価。阪神再生のキーマンと位置づけていたのである。

 二刀流を経験したことが功を奏したのか、野村監督2年目の2000年、新庄は打率.278、28本塁打、85打点をマーク。どの数字も阪神時代のキャリアハイであり、この成績を置き土産に新庄はメジャーへと旅立っていった。

 日本ハムの指揮官になった今季は、上原健太が二刀流挑戦を宣言。自身の経験をもとに、ビッグボスがキャンプでどんなアドバイスをするかも注目だ。

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