侍ジャパン・岩崎優のすごさを大学時の恩師が解説。決して速くない直球が打たれないワケ

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

 岩崎優(阪神)といえば、学生時代、神宮第二球場のマウンドで、地を這うような重心の低いフォームで黙々と投げ込んでいた姿が目に浮かぶ。

 当時、東都大学2部リーグだった国士舘大の岩崎の"仕事場"といえば、神宮第二球場がほとんどだった。そのネット裏に、国士舘大の試合になるといつも目を凝らして岩崎のピッチングを見ている人物がいた。阪神の中尾孝義スカウト(当時)だ。

「左腕は必ずしもすごいピッチャーじゃなくていい。タイミングが難しいとか、球筋が見えにくいとか、"打ちづらい"っていう要素とコントロールがあれば十分戦力になるんです。その代表格のようなピッチャーが岩崎です。今は135キロ前後ですが、アベレージで140キロ出せるようになったら、誰も打てないですよ」

東京五輪の日本代表に選出された阪神・岩崎優東京五輪の日本代表に選出された阪神・岩崎優この記事に関連する写真を見る 2013年の秋、阪神は岩崎をドラフト6位で指名した。

 入団から3年間は先発ローテーションとして経験を積み、プロ4年目からは中継ぎの一角を担って毎年40試合以上に登板。とくに2019年、2020年は防御率1点台という圧倒的な存在感を放ち、東京五輪の日本代表入りにつながった。

「球持ちがよく、打者寄りのギリギリの位置でボールを放てるメカニズム......あれはもう天性としか言いようがないですね」

 そう語るのは、当時、静岡の無名左腕だった岩崎を見いだし、大学4年間指導した永田昌弘監督(現・国士舘高校監督)だ。

「清水東にちょっと面白そうな左ピッチャーがいますよ」

 そう教えてくれたのは、現在、ノースアジア大学明桜高校(秋田)の野球部監督・輿石重弘氏だったという。ちなみに、永田監督と輿石監督が知り合ったのは教え子の結婚式で、この出会いがなければ岩崎はプロまでたどり着けたかどうかわからない。

「高校3年の夏が終わって、国士舘大の練習会に岩崎が来たんです。その日、たまたま一緒だったのが、帝京五高(愛媛)の平井諒という速い球を投げるピッチャーだったんです」

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