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失明の危機も「投げてくれんか」。カープ初優勝のスーパーマン投手 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 同年は27試合に登板し、70回2/3を投げて防御率は3.95。与四球は44個と多かった反面、62奪三振を記録している。全7試合で先発し、9月の巨人戦ではわずか1失点で初完投勝利も挙げた。ピッチングが向上した要因は何だったのか。

「二軍じゃなしに、一軍の試合で覚えていけた、ということです。投げて失敗して、抑えて、ああ、こうやったらできるんかと。投げ方もね、練習ではできない、バッター相手の技術の習得ってあるんですよ。練習はひとりだから自己満足になりがちですけど、実戦ではバッターの雰囲気、見逃し方とか、いろいろあるから。

 左バッターと右バッターで投げ方は違ってくるし、同じ球を投げても、体の止め方、開き方も変わっていく。そういう感覚、閃(ひらめ)きみたいなもんは自分でつかんでいくもんでしょう。コーチには教え切れないと思います。基本的なこと、大枠は、長谷川さんはじめコーチの方に教わりましたけどね」

 長谷川良平コーチの名前が出た。金城さんがブレイクする73年に就任しているのだが、果たして、当時あったという「ケンカ」の原因は何だったのか。

「自主トレ、キャンプと、1球も投げさせてくれない。ただシャドーピッチングを毎日。一度もボールを投げられないってきついですから、気が変になりますよ。それでオープン戦の中盤ぐらいになっても投げさせてくれない。

 実際、試合で投げられないです、肩もできてないし。それで長谷川さんのとこ行って、『自分で責任取れますから、投げさせてください。やめることになってもいいですから、もう我慢できません』って言ったら、『勝手にせえ』と。それでケンカになって......」

 金城さんによれば、長谷川コーチ自身が現役時代は下手投げに近かったから、技術的に至らない点が如実に見えたらしい。そこでフォーム固めのため、あえてボールを握らせなかった。同時に精神面、考え方を数多く教えられたという。

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