2021.04.01

大学の野球部退部→アメフト部→畳職人→NPB。元日本ハム投手が歩んだ奇妙な野球人生

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

「なんで私がプロ野球選手に⁉︎」
第2回 中村渉・前編

第1回の記事はこちら>>

 プロ野球は弱肉強食の世界。幼少期から神童ともてはやされたエリートがひしめく厳しい競争社会だが、なかには「なぜ、この選手がプロの世界に入れたのか?」と不思議に思える、異色の経歴を辿った人物がいる。そんな野球人にスポットを当てる新連載「なんで、私がプロ野球選手に!?」。第2回は、畳職人からプロ野球の世界に飛び込んだ中村渉(元・日本ハム)を紹介したい。

2004年のドラフトで日本ハムから7巡目で指名された中村渉氏 ドラフト指名選手は畳屋だった──。

 特殊なバックグラウンドの持ち主がプロに進んだのは、2004年のことだった。

 ダルビッシュ有(現・パドレス)を1巡目、MICHEAL(マイケル中村)を4巡目で指名し、のちに大成功ドラフトと評価されることになる日本ハム。その7巡目で指名されたのが、中村渉(わたる)という25歳のサウスポーだった。彼は三菱製紙八戸クラブというクラブチームに所属し、普段は実家の畳工店で働いていた。

 ドラフト当時はその異色の経歴がクローズアップされたこともあった。だが、中村が3年間のプロ野球生活で一度も一軍マウンドに立てなかったこともあり、いつしかその名は忘れ去られた。

 誰もが一度は利用したことがあるようなインターネット百科事典に中村の項はあるものの、「半分は本当で、半分は嘘」と本人が困惑する虚実入り混じった記載内容だ。その経歴はいまだに厚いヴェールに覆われている。

 なぜ、青森の畳屋で働く中村がプロの世界に飛び込めたのか。その奇妙な野球人生を辿ると、ずっと日陰を歩んできた者が一瞬だけ放ったまばゆい光に行き当たる。

 中村は1979年、青森県三戸郡の五戸町に生まれている。実家で営む中村畳工店は創業220年の老舗で、父・勇は7代目当主になる。中村は長男だったが、「父から家を継げと言われたことはなかったですし、僕も継ぐつもりはあまりなかった」という。

 それでも、自宅で黙々と作業する父の背中は、中村の脳裏に強く刻まれていた。

「父が働いているところを見て『職人ってかっこいいなぁ』と子どもながらに思っていましたね」