「パ・リーグだから」の理由で客は来ず。そこから始まった集客大作戦 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――ロッテが千葉に移転した当時の、印象に残っている選手は?

「ロッテでは、マリンスタジアムでホームランを多く打てる選手がいなかったことから獲得した、(メル・)ホールはよく覚えています。いざという時のパワーとスピードは魅力的でしたね。DHで活躍した他チームの助っ人では、近鉄の(ラルフ・)ブライアントや、2000年代に入ってからは西武の(アレックス・)カブレラなどが印象深いです」

――近年は、DH制が打者のレベルを上げたと盛んに言われるようになりましたが。

「セ・リーグのように投手交代の際の代打といった出場機会がないわけですから、控えの選手が試合に出るためにはレギュラーの選手と同等の実力をつけないといけない、という側面はあるかもしれません。ただ、DH制が導入されたのは1975年ですし、当然それだけが原因ではないでしょう。セ・リーグでは、チャンスでの代打を出すかどうかというところの面白さがありますからね。『そういうのが野球の醍醐味だろ!』という意見は、パ・リーグにDH制が導入された当時も多かったですよ」

――DH制は、パ・リーグの人気を高める狙いもあってのことですが、当初はあまり効果的ではなかったようですね。

「南海ホークスの門田(博光)さんがすごい打球を飛ばしても、スタンドに来るお客さんは少なかった。当時のロッテのDHはリー兄弟(レロン・リー、レオン・リー)で、有藤(道世)さんや落合(博満)さんもいました。でも、落合さんが山田(久志)さんと痺れる対決をしていても、足を運ぶファンはひと握りでしたから。

 球場の環境の悪さや、パ・リーグのチームの知名度が低いといっても、『三冠王』の落合さんのバッティングを生で見たいはずですよね? でも、あれだけの成績を残してメディアで取り上げられても、『パ・リーグだから』『ロッテだから』と理由づけられてしまう時代。仮に、現球界のスター選手であるソフトバンクの柳田(悠岐)のような選手がいても......どうだったかはわからない時代ですね」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る