ミスター赤ヘルの右打ちは芸術的。八重樫幸雄が打撃フォ-ムを分析した

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by kyodo News

「オープン球話」連載第43回

【山本浩二、衣笠祥雄の思い出】

――八重樫さんに現役時代に対戦した選手やチームメイトたちの思い出を聞くこの連載。今回は「赤ヘルブーム」の中心を担った、元広島東洋カープの山本浩二さん、衣笠祥雄さんの思い出を伺いたいと思います。この両者とは何度も対戦していますよね?

八重樫 もちろんです。浩二さんと衣笠さんは2人とも偉大なバッターだったけど、それぞれ特徴があって、キャッチャーとしてはすごく頭を使いました。何度も痛い目に遭っているし、いろいろ思い出はありますよ。

4度の本塁打王に輝くなど、広島の昭和の黄金期を支えた山本浩二4度の本塁打王に輝くなど、広島の昭和の黄金期を支えた山本浩二――ぜひ、そのあたりをお聞かせください。浩二さんは八重樫さんの5歳上、衣笠さんは4歳年上でした。年齢もプロ入りも、八重樫さんの先輩ということになりますね。八重樫さんがプロ入りした当時は、カープが1975(昭和50)年に初優勝する前でしたが、どんなチームだったんですか?

八重樫 僕がプロ入りした1970年代前半のカープは、浩二さんや衣笠さんのように、若くていい野手がそろっていました。三村(敏之)さんや水谷(実雄)さんもいたし。でも、投手陣は外木場(義郎)さん、安仁屋(宗八)さんとベテランが頑張っていたけど、投手力に難があったイメージがあるね。北別府(学)や大野(豊)が出てくるまで時間がかかったんですよ。

――山本浩二さんは後に「ミスター赤ヘル」と呼ばれる大打者となりますが、若い頃の浩二さんには、どんな印象を持っていますか?

八重樫 浩二さんの若い頃は、とにかく「右打ちがうまいバッター」でしたね。ベテランになってレフトに引っ張る打球も増えたけど、若い頃はそういう打球も少なかった。あと、意外かもしれないけど「守りの人」のイメージも強かったね。

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