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井端弘和が語る名将・星野仙一と落合博満の違い、立浪和義との二遊間 (2ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Sankei Visual

──著書などで「野球は股関節が大事」とおっしゃっていますが、井端さんが現役時代(あるいは現在も)股関節の柔軟性を維持するために行なっていた練習、ケアを教えてほしいです。(「野球好きの鉄則」さん・奈良県)

「現役時代は、毎日欠かさずにケアしていました。股関節だけでなく、肩周りなどの柔軟も。ホームゲームでは球場にある器具を使っていましたが、ビジターではホテルの部屋で済ませてから球場に入っていました。

 特に内野手は、股関節が滑らかに動かないと膝や腰に負担がかかり、肉離れなどケガの原因にもなる。僕はうまく股関節が使えていたので、ケガが少なかったんじゃないかと思います」

──井端さんが一番痺れた、緊張した試合は?(匿名)

「やっぱり1年目(1998年)で初めて一軍の試合に出た時です。初打席の相手投手は阪神の(ダレル・)メイで、バッターボックスでは足が震えていました。あとは、初の開幕スタメンの試合も緊張しましたし、痺れましたね」

──現役時代、試合中に意識していたことはなんですか?(「シリウスくん」さん・神奈川県)

「相手チームのキャッチャーの配球は常に意識していました。先発投手の打順2廻り目以降、中継ぎ投手の配球もそうですし、バッターごとに配球に変化があるのかも見ていましたね」

──現役時代の登場曲はどうやって決めていましたか?(「アライバーちゃん」さん・静岡県)

「僕自身の意見や希望はありませんでした。一緒に食事をすることが多かった、野本(圭)と新井(良太)、藤井(淳志)などに任せて、勝手に決めてもらっていました(笑)」

──現役時代に大変だったこと、うれしかったことはなんですか?(「ふみ」さん・愛知県)

「やっぱり負けるごとに気持ちは沈んでいましたよ。リーグ優勝、日本一になることが目標だったので、そこに届かなかった時は自分の成績がよくても、どこか煮え切らないところがありました。逆に優勝できた時は、打率が3割に届かなくても『頑張ったかな』と思えましたね」

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