就職内定から一転プロ志望届。
ヤクルト育成4位の心はナゼ変わったか
10月26日のドラフト会議では本会議で74人、育成ドラフト会議で49人の選手が指名を受けた。エリートから変わり種まで、さまざまなバックグラウンドを持った選手がいるなか、ヤクルトから育成4位指名された丸山翔大(西日本工業大)の置かれた状況はかなり特殊だった。
なにしろ丸山は大学4年春で選手を引退し、内定をもらっていた大手自動車メーカーに一般就職する予定だったのだ。
ヤクルトから育成4位指名を受けた西日本工業大の丸山翔大 身長192センチ、体重80キロの大型右腕の野球人生が急展開を見せたきっかけは、あろうことかコロナ禍だった。丸山は言う。
「コロナがなかったら、僕がプロに行くことはなかったと思います」
古豪の小倉工では130キロ台を超える程度の平凡なサイドスロー。西日本工業大では長身を生かすために腕を振る位置を高くしたが、コントロールに苦しみ、3年間で目立った活躍はできなかった。
西日本工業大の野球部は九州内で「就職に強い」と評判になっている。同大の就職課に勤める武田啓監督の人脈や根気強い人間教育、さらに工業系の人材を求める企業側のニーズもあり、野球部員の多くは卒業後に大手企業に進んでサラリーマンとして活躍する。
丸山も武田監督と話し合った末に一度は一般就職することに決め、九州内で有名な大手自動車メーカーからの内定を得た。「ケーブルをむき出しにしていじるのが好き」という丸山は高校時点で電気工事士(第2種)の資格を取り、大学では工学部の電子情報工学を学び、学業優秀だった。武田監督も「ひとりでもコツコツ努力できる」と、丸山の人間性を高く評価していた。
大学卒業後は暮らしやすい地元で、大企業で安定した生活が待っているはずだった。だが、新型コロナウイルスの感染拡大により、本来なら「大学最後のシーズン」だった4年春のリーグ戦が中止になった。
武田監督は秋の優勝を狙うため、一部の4年生に「チームに残らないか?」と声をかける。その要請に応じたのが丸山だった。ただし、武田監督は丸山の意外な言葉に面食らった。
「やるからにはプロに行きたいんですけど......」
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